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お東
「お東〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
お東の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「近時政論考」より 著者:陸羯南
にあらず。むしろ人間社会における強弱優劣の関係より来る、西洋に奴隷制の存せしはな
お東洋に乞丐制の存せしごときのみ、その彝倫の道にありては上下尊卑を主とせずして、....
「古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
さおをさし出させてお船へ引きあげておやりになりました。 みんなは、そこから、な
お東へ東へとかじを取って、やがて摂津の浪速の海を乗り切って、河内国の、青雲の白肩....
「蕎麦の味と食い方問題」より 著者:村井政善
粉つなぎは、蕎麦粉一升につき上葛粉五勺の割にするとよいとのことであります。 な
お東京市内ではないと存じますが、場末の蕎麦屋なり駄蕎麦屋では、鶏卵も薯類及び葛粉....
「旅愁」より 著者:横光利一
かしめた花とし、またそれを人の肥料ともせしめ得た配慮と工夫と政治の中には、今もな
お東洋人の取捨選択すべき幾多の重い穂粒の水中に沈んでいる筈の箇所だった。そして、....
「灰燼十万巻」より 著者:内田魯庵
の報告は芝居気満々たる山伏坊主の冒険小説に非ざる地理学上の大貢献であって、今日猶
お東方研究の三墳五典として貴重されておる。此大著述も亦日本に幾何も存在しないだろ....
「獄中消息」より 著者:大杉栄
。葬式の費用というのは幾らか知らぬが、これと他の四百円という借金を払い済して、な
お東京へ引上げる費用が残ってくれればいいが、もし不足するようなら、紀州の山田から....
「ドナウ源流行」より 著者:斎藤茂吉
如くに見えている。 東方のドナウもついに国土のなかに没した。僕は目金を拭いてな
お東方のドナウを見た。ドナウは、此処で Iller を合している。この川は南バイ....
「九条武子」より 著者:長谷川時雨
今日《こんにち》の東西本願寺――本願寺派本山のお西《にし》と、真宗大谷派本願寺の
お東《ひがし》とが分岐した。東は、西の十一世顕如の長子教如の創建で、長子が寺を出....
「漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
迂巷なる人当市『九州日々新聞』と申すに紫溟吟社の俳句を連日掲載するよう尽力致しな
お東京諸先俳の俳句も時々掲載致度趣にて大兄へ向け一書呈上候処その後何らの御返事も....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
婚より生じたるものの子孫 三、天孫種族に同化せし蝦夷の子孫 と。余輩今においてな
お東人の要素として、右の三者を数うるものなり。もとよりその委曲に渉りてこれを論ず....
「日和下駄」より 著者:永井荷風
かれれば結構、ややともすれば取払われべきものである。それにもかかわらず淫祠は今な
お東京市中数え尽されぬほど沢山ある。私は淫祠を好む。裏町の風景に或《ある》趣《お....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
ら流れて出て居るように画いてあるものがある。これは間違って居ります。その村からな
お東に進んで行くこと一里ばかりにして世界唯一の一大奇湖を見ました。この湖の名をチ....
「東西相触れて」より 著者:新渡戸稲造
葡萄牙人は東方を領土と心得てその方角に進み、亜弗利加《アフリカ》に国旗を建て、な
お東漸《とうぜん》して印度に渡り、遂に比律賓群島を占領し、この群島を東の島と名づ....
「野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
。それが必ずしも特殊の伝播でないことは、羽後由利郡の海岸でもサシボコ、それからな
お東北一帯のサシドリがあって、むしろ分布は他のいずれよりも弘いのである。 美作....