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「カテゴリ〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
カテゴリの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「路上」より 著者:芥川竜之介
うな心もちがした。が、講義は教授の風采とは没交渉に、その面倒なカント哲学の範疇《
カテゴリイ》の議論から始められた。俊助は専門の英文学の講義よりも、反《かえ》って....
「地獄の使者」より 著者:海野十三
驚愕打撃による場合……でしょうな」 「旗田の場合は、その中のどれに該当するのか、
カテゴリーだけでも分りませんか」 「感電ではない。もし感電であれば、電気の入った....
「母子叙情」より 著者:岡本かの子
は常に排泄するのです。 むす子の手紙二――(前略)……お母さんは余りに自分流の
カテゴリーを信じようとしすぎるような気がします。だから苦しみ迷うだろうと思います....
「仮装観桜会」より 著者:佐左木俊郎
が縺れついている。彼の挨拶もまた、それに過ぎないものではあったが、彼はその挨拶の
カテゴリーにおいて自分の計画の第一歩を踏み出そうとしていることはもちろんであった....
「科学的精神とは何か」より 著者:戸坂潤
、云うまでもない。――処が、それにも拘らず、この自然科学の背後にも、何等実証的な
カテゴリーと関係を持たないような自然哲学的・観念的・精神主義的・其の他其の他の形....
「科学論」より 著者:戸坂潤
の方法としての論理が貫いているのだったが(前に夫を見た)、その集中的な表現がこの
カテゴリーに於て現われるのである。自然科学の各領域は夫々方法的・論理的・な意味を....
「学生の技能と勤労大衆」より 著者:戸坂潤
分(?)を踏みはずしたものであったに相違ない、「学生」と云うこの社会の馴致された
カテゴリーからいって、今日の学生生活は大して歪曲はされていない。学生と云う馴致さ....
「技術的精神とは何か」より 著者:戸坂潤
なる。 私も亦科学的精神を歴史的精神と考える。ただそのために必ずしも行為という
カテゴリーを回わり道する必要はないと思う。科学的精神は勿論吾々の生活・行為の精神....
「技術と科学との概念」より 著者:戸坂潤
技術は一つの世界や一つの領域というものであろうかということだ。技術のこの存在性の
カテゴリーについては、多くの技術哲学は殆んど無批判なのである。今仮に火というもの....
「クリティシズムと認識論との関係」より 著者:戸坂潤
、之を理論的に洗練することが科学的労作なのである。 さて日常現象としても理論的
カテゴリーとしても、クリティシズムについてまず第一に気づく点は、それが言葉によっ....
「啓蒙の現代的意味と役割とについて」より 著者:戸坂潤
この後のものはジャーナリスティックな(新聞と政治的見解との連絡に注目)又政治的な
カテゴリーなのである。前者は之に反して、単にアカデミシャンの有ちそうな
カテゴリー....
「現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
き幾つかの範式を意味する。何が、何時、何処で、どれ程、どういう具合に、等々十個の
カテゴリーが挙げられている。云うまでもなくこの範疇の数は言葉の約束である。 ア....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
れは確かに社会的な区別としては本当なのだ。或いはもっとやかましくいうと、社会学的
カテゴリーとしては二つの区別は非常に尤もなのだ。 ところで一体、この
カテゴリー....
「現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
ぬ。――単に有能な哲学はテクニカルだと云うのではなく、その哲学の体系を展開させる
カテゴリーが生産技術上通用する
カテゴリーと歴然と一定の関係を自分で設定していると....
「娯楽論」より 著者:戸坂潤
ると、実はもはや快楽ではなくなって、前に述べた処の、あの退屈凌ぎや暇つぶしという
カテゴリーに突入して来る。自棄的な暇つぶし、自暴的な退屈凌ぎ、ということになる。....