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デカダン
「デカダン〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
デカダンの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「本所両国」より 著者:芥川竜之介
来はどちらへ抜けてもボオドレエル的色彩などは全然見つからないのに違いない。たとい
デカダンスの詩人だったとしても、僕は決してこういう町裏を徘徊する気にはならなかっ....
「ドモ又の死」より 著者:有島武郎
はモナリザ以上のものを描いてみせるよ、きっと。 瀬古 僕はワットーの精神でその
デカダンの美を見きわめてやる。 青島 見もしないでなにをいうんだい。 瀬古 ....
「性急な思想」より 著者:石川啄木
於て自分の生活を改善するところの何等かの努力を営み――仮令《たとえ》ば、頽廃的《
デカダン》という事を口に讃美しながら、自分の脳神経の不健康を患《うれ》うて鼻の療....
「耽溺」より 著者:岩野泡鳴
がなくなって、下へ下へと重みが加わったのだろう。堕落、荒廃、倦怠、疲労――僕は、
デカダンという分野に放浪するのを、むしろ僕の誇りとしようという気が起った。 「先....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
伝襲があったので、江戸の通人の女遊びは一概に不品行呼ばわりする事は出来ない。この
デカダン興味は江戸の文化の爛熟が産んだので、江戸時代の買妓や蓄妾は必ずしも淫蕩で....
「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
ても、矢張り鴨の長明が有為転変を儚なみて浮世を観ずるような身構えをしておる。同じ
デカダンでも何処かサッパリした思い切りのいゝ精進潔斎的、忠君愛国的
デカダンである....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
臭くなるが、畢竟は二葉亭の頭の隅のドコかに江戸ッ子特有の廃頽気分が潜在して、同じ
デカダンの産物であるこういう俗曲に共鳴したのであろう。これを日本国民が二千年来こ....
「省線電車の射撃手」より 著者:海野十三
量である。だがこの悪意ある射撃は、世紀末的な廃頽せる現代に於て、なんと似合わしい
デカダン・スポーツではあるまいか。 小暗いレールを踏み越えて、ヒラリとプラット....
「新しき世界の為めの新しき芸術」より 著者:大杉栄
び精神上の休養でなければならない。 なまけ者の理知にすら往々多くの害悪を及ぼす
デカダン芸術の最後の所産を民衆に与える事は出来ない。又、選ばれた人々の苦痛や煩悶....
「巴里のキャフェ」より 著者:岡本かの子
って、この付近に雑誌社、新聞社の巣窟があった時代の習慣で足はおのずとここへ向く。
デカダン時代の風雅に養成された彼は、今日の唯物的健康なるものに対して悉く反噬する....
「母子叙情」より 著者:岡本かの子
しょうが、やめにして下さい。自分の持っている幼稚なものを許して眺めていることは、
デカダンです。自分の持っていないものこそ、務めて摂取すべきです。一度自分のものと....
「正に芸術の試煉期」より 著者:小川未明
、一般に趣味が低下しないかと思う。そして、一方には、やるせなき思いを遣るために、
デカダンの色彩濃厚なる芸術が現われるような気さえする。 けれど、決して、それの....
「可能性の文学」より 著者:織田作之助
与えられているから、そのアンチテエゼをやっても、単に酔いどれの悔恨を、文学青年の
デカダンな感情で告白した文学青年向きの観念的私小説となり、たとえば肉体を描こうと....
「髪」より 著者:織田作之助
巧でなかったわけである。 このような私を人は何と思っていたろうか。ある者は私を
デカダンだと言い、ある者は大本教を信じているらしいと言った。しかし私は何ものをも....
「青春の逆説」より 著者:織田作之助
た。 (赤井はえらい男だが、自分の行動を誇張して人に喋りたがるのが欠点だ。つまり
デカダン振るのだ。俺なら黙って行《や》る) 豹一はそう思うと、はじめて自分と赤....