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マット
「マット〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
マットの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「透明人間」より 著者:ウェルズハーバート・ジョージ
った。 ウィスキーのびんをさげて、ひっかえしてきたとき、階段の下にしかれている
マットに、ひと所、黒いしみができているのが目についた。 「だれだろう? こんなと....
「浮かぶ飛行島」より 著者:海野十三
足音がして、広間へ入ってきたものがある。 それは何者であったか。 警務班長の
マットン中佐が先頭にたち、あとにはヨコハマ・ジャックなどの荒くれ男が四、五人つき....
「東京要塞」より 著者:海野十三
ッシュをかけるという始末です。外へ出ると、服はすっかり着がえさせられます。履物や
マットまで変るのです。恐らく厳重を極めていますよ」 「ふーむ、莫迦に細心にやって....
「青い風呂敷包」より 著者:大倉燁子
には純白のマフラを巻き着けられ、赤い絹糸のような一筋の血が唇から流れ出して、ゴム
マットやシートを赤く染めている、彼は慌てて交番へ馳け込んで訴えた。 取り調べの....
「黒猫十三」より 著者:大倉燁子
る血汐は、細そりした白蝋のような腕を伝わり、赤い一筋の線を描きながら、白いゴム・
マットの上に滴り落ちて、窪んだ処へ溜っている。抱き起してみようと思って、そッと体....
「審判」より 著者:カフカフランツ
で、片腕を椅子の背にかけていた。 部屋の隅には三人の若い男がいて、壁にかかった
マットに留めてあるビュルストナー嬢のさまざまな写真をながめていた。開いた窓の把手....
「「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
生じた場合も少からぬ事であったに相違ない。今その一例として、ここに「ケット」と「
マット」なる語について考察を試みてみたい。 新潟県中魚沼郡の山間に、土俗ケット....
「幻談」より 著者:幸田露伴
度申して置きます。 それは西暦千八百六十五年の七月の十三日の午前五時半にツェル
マットという処《ところ》から出発して、名高いアルプスのマッターホルンを世界始まっ....
「上高地風景保護論」より 著者:小島烏水
タアホーン山は、日本の槍ヶ岳に類似した峻峰で、久しく人界から超絶していたが、ゼル
マットという登山地点が発見せられ、そこにいい旅館が出来て、叮嚀《ていねい》に客を....
「安吾人生案内」より 著者:坂口安吾
まざまと同じく宮様もさまざまに極っているから、その課せられた宮様の生き方を正しく
マットウに生きる人が全部だとは云えない。むしろそれは少数で、多くの宮様は例外の自....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
らしいや)男の子はなかなか見物ができないらしいが、宝塚少女歌劇そのものは、相当に
マットウな劇でもありショオでもありますよ。 女の子が男役をやる、ということも、....
「人の子の親となりて」より 著者:坂口安吾
まだこの子供に何も期待していない。どんな風に育てようという考えも浮かばない。ただ
マットウに育ってくれと願うだけで、そして子供の生れたことを何かに感謝したいような気持が深くなるようである。....
「不良少年とキリスト」より 著者:坂口安吾
でしまった。 フツカヨイをとり去れば、太宰は健全にして整然たる常識人、つまり、
マットウの人間であった。小林秀雄が、そうである。太宰は小林の常識性を笑っていたが....
「ヤミ論語」より 著者:坂口安吾
現から察せられることは、窮余の告白であるにすぎず、ヤミをやらずに生きられぬ現実の
マットウな認識には欠けており、つまりこの現実の矛盾を合理化する政策の成算はもたな....
「ヨーロッパ的性格 ニッポン的性格」より 著者:坂口安吾
のところは、仏というものは仏である、糞掻き棒は糞掻き棒である、というような尋常、
マットウな論理の前に出ますというと、このような論理はまるで役に立たないのでありま....