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マルクス主義
「マルクス主義〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
マルクス主義の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「党生活者」より 著者:小林多喜二
していたのだ。 「ヨシ公はシャヴァロフって知ってるか?」 と、須山が云った。 「
マルクス主義の道さ。」 「又|切り抜帳《スクラップ・ブック》か?」と私は笑った。....
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
るようであります。 第一はソビエト連邦。これは社会主義国家の連合体であります。
マルクス主義に対する世界の魅力は失われましたが、二十年来の経験に基づき、特に第二....
「新日本の進路」より 著者:石原莞爾
人に眞の自由を與えるため若干のさばきをつける、所謂「統制」を與える必要を生じた。
マルクス主義はその最初の頃のものであり、以後世界をあげて統制主義の歴史段階に入つ....
「工場細胞」より 著者:小林多喜二
た日々の経験、工場内の出来事、偽瞞的な政策等を分り易く、具体的に暴露して、それに
マルクス主義的な解答を与え、漸次彼等を階級意識に目覚めさせて行く任務を持っていた....
「科学論」より 著者:戸坂潤
分裂したりする筈がないからだ。だがそれにも拘らず、例えばブルジョア経済学の立場と
マルクス主義経済学の立場とを、その本質に於て総合したり合致せしめたりすることは出....
「イデオロギーの論理学」より 著者:戸坂潤
マルクスの独創に由来するといわれている。従って今云うイデオロギーという言葉はただ
マルクス主義の理論に立ってのみ、初めて正当な問題となることが出来る。「イデオロギ....
「イデオロギー概論」より 著者:戸坂潤
ブルジョアジーのものである処の、わが国に於ける文壇や論壇、又学壇をさえ一貫して、
マルクス主義的・社会科学的・認識が今日では可なりよく普及していると見て好い。一部....
「伝統と進取」より 著者:九鬼周造
るか。この点は私は全面的に是認するものである。私が『「いき」の構造』を書いた頃は
マルクス主義全盛の頃で、私は四面楚歌の感があった。数年経って「外来語所感」を発表....
「科学的精神とは何か」より 著者:戸坂潤
はや話しにならぬ。「如何にマルクスを引用すべからざるか」という論文もあるが、独り
マルクス主義文献の引用に限ったことではない。寧ろ今日ではそうした引用はマルクス主....
「学生と教養」より 著者:倉田百三
表さえもしている。アナーキストとして有名なクロポトキンには著書『倫理学』があり、
マルクス主義運動家時代のカウツキーにさえ『倫理学と唯物史観』の著があるくらいであ....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
との融け合いを理念するときに、深い深いインテンシチィを私は持つことが出来るのだ。
マルクス主義の物的平等社会位では人間の理想共同体として満足出来なくなるのだ。どん....
「チェーホフ試論」より 著者:神西清
の生涯の最も大切な時期を生きた八〇年代は、ナロードニチェストヴォとプレハーノフ的
マルクス主義と、この二つのいずれもロシア現実から遊離した革命思想が、一は漸く退潮....
「純情主義を想う」より 著者:小川未明
は、これ程、たしかなことはないからであろう。 ナロード主義が、空想的であって、
マルクス主義が科学的である故に、前者に、大衆を獲得する力がないといって、貶するこ....
「所謂批評の「科学性」についての考察」より 著者:戸坂潤
乃至文学の社会的批評が科学的批評であるかのように考えられたこともある。そして之が
マルクス主義的批評であるなどとも、説かれたことがあるし、そういうものとして反対さ....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
した事と思う。それを乗越え得たのは「祖国の急」に対する大衆の本能的衝動であった。
マルクス主義の理論が自由主義の次に来たるべき全体主義の方向に合するものであり、殊....