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ロマン派
「ロマン派〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
ロマン派の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「HUMAN LOST」より 著者:太宰治
ぜよ、花ひらく時には、たしかに明朗の音を発する。これを仮りに名づけて、われら、「
ロマン派の勝利。」という。誇れよ! わがリアリスト、これこそは、君が忍苦三十年の....
「虚構の春」より 著者:太宰治
いと思っている。今日は十五日締切の小説で大童《おおわらわ》になっているところ。新
ロマン派の君の小説が深沼氏の推讃《すいさん》するところとなって、君が発奮する気に....
「科学論」より 著者:戸坂潤
らその自然淘汰の観念を示唆された。又エルステッドの電磁気関係の研究はシェリングの
ロマン派的自然哲学に負う処があるらしい。 * 常識はパラドックシカルな性質を持っ....
「イデオロギー概論」より 著者:戸坂潤
Ideen, S. 40, 45, 47 を見よ。 ヴェーバーによる、審美的・
ロマン派的な、そして形而上学的・宗教的な、芸術家風にして予言者風な文化そのものを....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
いだろう。――文献学乃至解釈学が哲学と結びつき又は哲学的となる時、その哲学はこの
ロマン派的・審美的・回顧的・観想的な一種の解釈哲学であったことを注意しておかなく....
「現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
ングに見出されるような芸術家的自由・個性の自由・は、ヘーゲルの自由に於ける一種の
ロマン派的契機の内に現われる。自由とはヘーゲルによれば、理性が自分自身と一つであ....
「思想としての文学」より 著者:戸坂潤
的な見方でないから皮肉な見方だというのである。アイロニーというのは、何といっても
ロマン派のもので、主観主義に立脚して事物の秩序を攪拌することだ(ティークの劇中に....
「辞典」より 著者:戸坂潤
かれたものや何かではない。その前に、代表的なドイツ古典観念論者のフィヒテと、その
ロマン派的な強調としてのシェリング(その後期は別だが)とがあった。フィヒテは自我....
「娯楽論」より 著者:戸坂潤
って話しが実際に片づくものでもないのである。だから実際幸福という観念は往々にして
ロマン派的なものであったり(メーテルリンクの『青い鳥』)象徴派的なものであったり....
「生きている空間」より 著者:中井正一
見いる眼があることへの苦悩である。 この皮肉(イロニー)、不安は、その頃の青年
ロマン派の人々の合言葉であり、共通にあったドイツ近代精神の流れでもあった。それを....
「秘伝の名訳」より 著者:岸田国士
エーシヨンに外ならぬ。 この戯曲は、機智と雄弁と傍若無人な舞台技巧とをもつて、
ロマン派演劇のはるかな先駆をなしたものであるが、同時にまた、その反逆精神と無頼性....
「絵画の不安」より 著者:中井正一
られるであろう。そしてかのギリシャでは、調和をもって存在の形相として受け入れた。
ロマン派はこれに対して、天才の情熱の中にそれを求めた。それは異なる意味をもってな....
「クリティシズムと認識論との関係」より 著者:戸坂潤
ランス文芸批評の伝統が打出されたのは古典作家達の盛大時と同時代であった。ドイツ・
ロマン派の時代は批評と創作とが一致した時代だったと考えていい。なるほど批評は近代....
「哲学の現代的意義」より 著者:戸坂潤
ない時、「教養」も教養にならぬということが判る。漱石の「教養」を讃嘆しようとする
ロマン派流者は、まずこの点に注意を怠ってはなるまい。 だが吾々は勿論漱石を批難....
「解説」より 著者:原田義人
ったように特殊のなかに普遍を表わしているものでもなければ、またノヴァーリスなどの
ロマン派文学のように、自然が精神と化し、精神が自然と化すというふうに無限に高まっ....