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一以
「一以〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
一以の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「カインの末裔」より 著者:有島武郎
き事、作跡《さくあと》は馬耕《うまおこし》して置くべき事、亜麻は貸付地積の五分の
一以上作ってはならぬ事、博奕《ばくち》をしてはならぬ事、隣保相助けねばならぬ事、....
「デンマルク国の話」より 著者:内村鑑三
のであります。
ユトランドはデンマークの半分以上であります。しかしてその三分の
一以上が不毛の地であったのであります。面積一万五千平方マイルのデンマークにとりま....
「土曜夫人」より 著者:織田作之助
列の中にまぎれ込んでいるはずだ。ひとりぽつりと行列からはなれて、手巻きの、三分の
一以上葉が抜けたような煙草を吸ったりしないはずだ。 その男――北山正雄は大阪の....
「党生活者」より 著者:小林多喜二
戦争が始まってから労働強化は何処でもヒドクなっているのだが、同一の労働(或いは同
一以上の労働)をしているにも拘《かかわ》らず、女工に対する搾取は急激に強まってい....
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
めて精鋭且つ優勢であるのみならず、一般師団の数も仏英側に対しドイツは恐らく三分の
一以上も優勢を保持しているらしいのです。しかも英雄ヒットラーにより全国力が完全に....
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
ことになる。で、こちらの世界で、何よりも大切な修行というのは精神の統一で、精神統
一以外には殆んど何物もないといえる。つまりこれは一|心不乱に神様を念じ、神様と自....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
全盛時代は明治二十二、三年頃から四十年前後に至る約二十年間で、東京の寄席の三分の
一以上は、女義太夫一座によって占領さるる有様であった。かれらのうちには勿論老巧の....
「佳日」より 著者:太宰治
も怪しむに及ばぬ筈であるが、世の中は、おかしなもので、自己の知っている事の十分の
一以上を発表すると、その発表者を物知りぶるといって非難する。ぶるのではない。事実....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
れに反し売上金高が莫大で、しかも店に装飾の必要なき卸問屋などでは、売上げの百分の
一以下の家賃で済むことになるであろう。しかしそういう商売は別として、普通の小売商....
「私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
あり、それがことごとく飛散する上にバターもおおかたは無くなり、玉子はおよそ五分の
一以下に減ずるのだから、この減損は当り前なのであった。しかし職人ばかりでない、人....
「S夫人への手紙」より 著者:岸田国士
ること、男子は、部屋着のみとすること。 第二は、米食をさしあたり、現在の二分の
一以下に減ずること。すなわち、残りは粉食とすること。なお、「主食」なる観念を漸次....
「夢殿殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
う判れば、改めて云う迄もない事だろう。けれども、一方全長に於いても、恐らく五分の
一以上も伸びたに違いないと云うのは、階段に血痕を残さず、推摩居士を上り口に下ろし....
「南極の怪事」より 著者:押川春浪
のみ、この大檣は甲板の中部にあり、檣上より一面に張られたる帆は、すでにその三分の
一以上破れたれど、ものすごき疾風を受けて、船の走る事矢のごとし、余はただ一面の帆....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
けない。やむをえずその頃附近に移住していた蝦夷人をさしむけましたところが、彼らは
一以て千に当るという勢いで、容易にこれを撃退することが出来ました。これから太宰府....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
説教なり。ベルリンの寺院にては毎日曜参詣せる人を見るに、三分の二以上は女、三分の
一以下は男なり。その年齢は十二、三歳以下の子供か、または四十以上の男女を多しとす....