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「一向宗〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

一向宗の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
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神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
て薩摩の人に聞きしは、太閤本願寺僧をしてその国を細作せしめしより、島津大いに恨み一向宗を厳禁せしも、士庶のその宗旨を奉ずる者、弥陀仏像を柱の中に収め朝夕|看経《....
佐橋甚五郎」より 著者:森鴎外
》ったものである。佐橋家の家譜《かふ》等では、甚五郎ははやく永禄《えいろく》六年一向宗徒に与《くみ》して討死している。「甲子夜話《かっしやわ》」には、慶長《けい....
護持院原の敵討」より 著者:森鴎外
すると長崎から来た人の話に、敵らしい僧の長崎にいることを聞いた。長崎|上筑後町の一向宗の寺に、勧善寺と云うのがある。そこへ二十歳前後の若い僧が来て、棒を指南して....
魔法修行者」より 著者:幸田露伴
るに似たり、と笑ったというが、どうして信玄は飯綱どころか、禅宗でも、天台宗でも、一向宗までも呑吐して、諸国への使は一向坊主にさせているところなど、また信玄一流の....
十二支考」より 著者:南方熊楠
濁る、上がった方の鐘は女人を嫌いまた竜頭を現わさず、常に白綿を包み置く、三百年前一向宗の僧兵が陣鐘にして、敗北の節谷に落し破ったが、毎晩白衣の女現われ、その破目....
十二支考」より 著者:南方熊楠
きんたんき》』に「この津の橋々に隠れなき名題の呂州(風呂屋女を指す)猿女上人」、一向宗の顕如《けんにょ》に猿をいいかけたり。元禄十三年板『御前義経記』五にも「以....
十二支考」より 著者:南方熊楠
後《のち》我女房を客人と云々」これらは新婦と限らぬようだが、余ら幼き頃まで紀州の一向宗の有難屋《ありがたや》連、厚く財を献じてお抱寝《だきね》と称し、門跡の寝室....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
なんてものは、慾でまた崩れる、そこへ行くと、坊主の一揆は百姓一揆より始末が悪い、一向宗の一揆なんてのは、未来は阿弥陀浄土に生れるのが本望なんだから、銭金や米穀な....
九条武子」より 著者:長谷川時雨
石山本願寺は、現今《いま》の大阪城本丸の地点にあって、信長に攻められたのだが、一向宗は階級的な強さがあるので、負けるどころではなかったが、綸旨《りんし》が下《....
埋もれた日本」より 著者:和辻哲郎
歳の時、本能寺の変に際して家康のもとに帰参したのである。その閲歴から見て狂熱的な一向宗信者であったと推測せられるが、しかしキリシタンの宣教師の報告によると、家康....
茶漬三略」より 著者:吉川英治
若狭へ転戦し、続いて、天正元年には、柴田勝家と合体して、滋賀の石山、堅田など、一向宗の僧軍と戦うなど――殆ど、年ごとの正月にも、甲冑を解いて、屠蘇酒を祝った例....
特殊部落と寺院」より 著者:喜田貞吉
この際に当って、献身的に彼らの教導に従事したものは、肉食妻帯をすら忌まなかった一向宗、すなわち浄土真宗の僧徒である。しかしそれは既に宗祖親鸞上人の時から始まっ....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
有利事業を独占し、その他にも特権が多く、生活に余裕があったが為と、一つには彼らが一向宗門徒であって、その宗旨の教えとの為に、自然堕胎、間引きの風習がなかった故で....
融和促進」より 著者:喜田貞吉
他の宗旨から顧みられなかったものが、いかなる罪人でも救いとって往生せしめるという一向宗の信徒となったがために、この宗旨の教導から、堕胎や間引きをしなかったという....
融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
、一向に人口が増さなかった間に、彼らのみは盛んに増しました。これは、一つは彼らが一向宗、すなわち真宗の信徒であったということから、自然この風が起らなかったのかも....