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一寒
「一寒〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
一寒の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
し出しても必ず満身の愛を捧げて琴瑟《きんしつ》調和の実を挙げらるるに相違ない。万
一寒月君が迷亭などの説法に動かされて、この千古の良縁が破れるとしても、この陰士が....
「海に生くる人々」より 著者:葉山嘉樹
、……そりゃ関係はあるにしても、船長が一度いかんと言ったものをナア……おれは、第
一寒くてやり切れないや」 ボースンは、ストキの顔をせっぱ詰まって拝むようになが....
「殺人鬼」より 著者:浜尾四郎
彼は山田駿三と云つていたのだ。(同上参照)事は今から約四十年以前、中国地方のある
一寒村に於ける二つの家の悪因縁話からはじまる。ああ、君らは、あの伊達、秋川両家の....
「あとがき(『宮本百合子選集』第一巻)」より 著者:宮本百合子
て、村の街道の赭土に深くきざみつけられた轍のあとまで眼と心にしみついている東北の
一寒村の人々の生活の感銘から、この小説をかいたのであった。 当時、日本の文学は....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、彼等ノ一隊ハ、ぶるうすたあ及ビろびんそんガ指導ノ下ニ、千六百〇八年、英国北部ノ
一寒村タルくろすぴーヨリ逃レテ和蘭《オランダ》ノあむすてるだむニ到リ、直チニらい....
「或教授の退職の辞」より 著者:西田幾多郎
生涯を回顧して、転《うた》た水の流と人の行末という如き感慨に堪えない。私は北国の
一寒村に生れた。子供の時は村の小学校に通うて、父母の膝下で砂原の松林の中を遊び暮....
「宝塚生い立ちの記」より 著者:小林一三
く、その名を知られている宝塚ではあるが、学校をはじめた当時は、見る影もない寂しい
一寒村にすぎなかった。 そして宝塚という名称は、以前には温泉の名であって、今日....
「香熊」より 著者:佐藤垢石
永之介の書いた「熊」という戯曲を読んだことがある。描いたのは、出羽国鳥海山の麓の
一寒村の出来ごとだ。三人の猟師が、一頭の大熊を獲ってきたのを高利貸、地主、滞納処....
「旅役者の妻より」より 著者:矢田津世子
元は、何んたる無情でしょう、南那珂郡福島という地、日向の南のはずれ大隅と隣接する
一寒村に我々を置き去りにし、自分らのみ鹿児島へと乗りこんでしまいました。 ああ....
「美食七十年の体験」より 著者:北大路魯山人
とがほとんどない。常にひとから酒後の顔色と間違えられるまでに血色が良いらしい。第
一寒さを覚えぬ。暑さも平気である。仕事にしても通常人の数倍はして来たつもりである....
「西航日録」より 著者:井上円了
地にて、したがって豪商紳士多く集まり、バルレー村のごときは、山間の渓流にそいたる
一寒村に過ぎざるも、水力を応用して製毛の一大工場を開き、毎日七百名以上の職工これ....
「悪魔の弟子」より 著者:浜尾四郎
身を投じました。私は此の世に最後の別れをつげるため、昔あなたと夏休に旅した木曽の
一寒村を目あてに出発したのです。 それは丁度三月二十七日の夜のことでした。私は....
「三国志」より 著者:吉川英治
わめて自然に、めぐり来る運命の下に、これを授けられたものといってよい。 ※県の
一寒村から身を起して今日に至るまでも、よく節義を持して、風雲にのぞんでも功を急が....
「三国志」より 著者:吉川英治
ひらいて、赤裸の自己を見せるつもりでいう。 いかにも自然児らしく、今なお洛陽の
一寒生らしくも見える。 だが、そのどこまでが、ほんとうの曹操か。 玄徳は、彼....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
川は鮎の産地として名高い。私はその揖保川の堤から二、三町ばかり行った百戸ばかりの
一寒村で、農業を営む長谷川家の三男坊として生まれた。戸籍では明治十五年十月三日生....