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一院
「一院〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
一院の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
っているのです。――右門流がずばりと飛びました。 「真言宗の紫数珠は、たしか一寺
一院をお持ちのしるしでござりますはず、ご住職でありましょうな」 「恐れ入りました....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
き間、所帯を二疋の犬に譲り与えおわる、犬二疋死後領家の計らいとしてかの田畠を以て
一院を建立《こんりゅう》し、秀府並びに二疋の犬の菩提を訪う。堂塔僧房繁昌し仏法を....
「星女郎」より 著者:泉鏡花
段の床の間へ御仏像でも据えたなら、構は大い。そのまま題にして、倶利伽羅山焼残寺が
一院、北国名代の巡拝所―― と申す説もござりました。」 七 「と....
「源氏物語」より 著者:紫式部
は十分大臣にあるであろうと見えた。 源氏の参賀の場所は数多くもなかった。東宮、
一院、それから藤壺の三条の宮へ行った。 「今日はまたことにおきれいに見えますね、....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
て、三年間の期限で選挙される。院長は二度の再選を受け得るのみであって、そのために
一院長の最長年限は九年となるのである。
彼女らは決して男の祭司の姿を見ない。男....
「あたらしい憲法のはなし」より 著者:文部省
を「二院制度」というのです。國によっては、一つの議院しかないものもあり、これを「
一院制度」というのです。しかし、多くの國の國会は、二つの議院からできています。國....
「三国志」より 著者:吉川英治
、もうあまり用いないことにしよう」と、うなずいた。 汝南に迫った関羽は、古刹の
一院に本陣をおいて、あしたの戦に備えていたが、その夜、哨兵の小隊が、敵の間諜らし....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ら縦から覗き下ろしていたが、しかし容易に信じるふうではない。 ところへ、山中の
一院、金剛蔵院の小道から、この近くへ出て来た同類の一群があった。深栖三郎はそれを....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
帝座に召されておそくまでさまざまな下問にこたえていた。 帝座といっても、廃寺の
一院を補修したにすぎない行宮だ。それもこよいかぎりよそへ移される沙汰なので、妃た....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ら、こうお願いに参じました」 「…………」 正成は迷うらしい。 眼では彼方の
一院の方をながめていた。 彼の妻子がおかれていた千早村も敵の占領下に入ったので....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
東慶寺の御門も危うくなりましたので、今暁、五山の僧衆に守られて、円覚寺の奥まった
一院へお身をお移しなされました」 「そうか。……高時が行くところたちまちそこは兵....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
それもすでに深夜だった。 諸人の宿所は山上山下にわかれていて、尊氏の屯した
一院は、ふもとに近い平等王院の内だったのである。――二十日過ぎの月はどこかにある....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
でか」 と、陣屋の内を覗いた。 書写山の上には僧房が多い。官兵衛の陣所もその
一院にあった。折ふし彼は武装のまま論語を読んでいたが、思わぬ友の訪れに、歓んで迎....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
、いずれ元興寺衰頽の後のことと察せられる。『八重桜』には、悲田院はもと元興寺中の
一院で、光明皇后開基だとあるが、もとより採るに足らぬ。その所在も元興寺境外である....
「大岡越前」より 著者:吉川英治
た。 いや同苦坊というのは、かれの遠いむかしの名であり、今では、宇治|黄檗山の
一院の住持で鉄淵禅師と称ばれていた。 十数年前、年ごとに、江戸の窮民の群れの中....