» 丁稚

「丁稚〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

丁稚の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
或日の大石内蔵助」より 著者:芥川竜之介
の亭主の方が、紺屋の職人に桶で散々|撲《なぐ》られたのだそうです。すると、米屋の丁稚《でっち》が一人、それを遺恨に思って、暮方《くれがた》その職人の外へ出る所を....
婦系図」より 著者:泉鏡花
、 「同類だ、共謀だ、同罪だよ。おい、芸者を何だと思っている。藪入に新橋を見た素丁稚のように難有いもんだと思っているのか。馬鹿だから、己が不便を掛けて置きゃ、増....
清心庵」より 著者:泉鏡花
。おお、それからいまのさき、私が田圃から帰りがけに、うつくしい女衆が、二人づれ、丁稚が一人、若い衆が三人で、駕籠を舁いてぞろぞろとやって来おった。や、それが空駕....
南地心中」より 著者:泉鏡花
ございます、)とまた立って、多一が歩行き出すと(こら!)と呼んで呼び留めた。 (丁稚々々、)と今度は云うのさ。」 聞く男衆は歎息した。 「難物ですなあ。」 ....
あのころ」より 著者:上村松園
らなかったが、親類の人に遠慮して言い出せずもじもじしていたが、折りよくそこへ家の丁稚が通り合わしましたので、私はこれ幸いと、丁稚に半紙へ波の模様のある文久銭を六....
想い出」より 著者:上村松園
が、親類の家なので子供心に買って呉れとも言えず、もじもじしてたところへ丁度家から丁稚が使いに来ましたので、私はその丁稚に、半紙に波の模様のある文久銭を六つならべ....
画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
戚の人に買ってというのは恥ずかしく、ようよう我慢していますと、丁度そこへ私の家の丁稚が来ました。そこで紙に円をかき、真中に四角をかき、その間に浪の模様をかきまし....
座右第一品」より 著者:上村松園
誰も知った人もない名もない頃の私なのですから「アッ又来やはった」などと小僧さんや丁稚さん達が、わざと私に聞こえよがしの蔭口を利くことなども度々でした。 一度は....
わが母を語る」より 著者:上村松園
。 こう言ったからには、誰に一厘の厄介もかけることはできないと思い定め、一人の丁稚を追いまわし、女手一つで店をやっていきました。体は至って壮健で、実にまめによ....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
日見物の山をなして椿岳は一挙に三千円から儲けたそうだ。 今なら三千円ぐらいは素丁稚でも造作もなく儲けられるが、小川町や番町あたりの大名屋敷や旗下屋敷が御殿ぐる....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
士族|気質のマダ失せない大多数の語学校学生は突然の廃校命令に不平を勃発して、何の丁稚学校がという勢いで商業学校側を睥睨した。今ならこんな専制的命令が行われるはず....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
って、小さい白扇を遣っていた。 この二人の姿が消えると、芝居で観る久松のような丁稚がはいって来た。丁稚は大きい風呂敷包みをおろして縁に腰をかけた。どこへか使い....
心中浪華の春雨」より 著者:岡本綺堂
寺町の自分の家《うち》へ引き取ってくれた。孤児《みなしご》六三郎はこうして大工の丁稚《でっち》になった。 父に捨てられ、母をうしなった六三郎は、親方のほかには....
二階から」より 著者:岡本綺堂
って、小さい白扇を遣っていた。 この二人の姿が消えると、芝居で観る久松のような丁稚が這入って来た。丁稚は大きい風呂敷包を卸して椽に腰をかけた。どこへか使に行く....
三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
はまだ前髪のある年季小僧で、人形町通りの糸屋に奉公している者でした。名は久松――丁稚小僧で久松というと、なんだか芝居にでも出て来そうですが、本人は明けて十五とい....