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「七回忌〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

七回忌の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
あやかしの鼓」より 著者:夢野久作
んだもので黒の水引がかかっていて、その上に四角張った字で「妙音院高誉靖安居士……七回忌」と書いた一寸幅位の紙片《かみきれ》が置いてあった。 私はオヤと思った。....
三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
花々しく討死をしました。それが五月十五日、丁度彼の紙屋の夫婦を斬った日で、しかも七回忌の祥月命日にあたっていたと云うのも不思議です。 もう一つ変っているのは、....
出家とその弟子」より 著者:倉田百三
を思います。 親鸞 お兼さんがなくなってから何年になるかね。 唯円 ことしの冬が七回忌でございます。 親鸞 ほんに惜しい事をした。あんないいおかあさんはめずらし....
西洋人情話 英国孝子ジョージスミス之伝」より 著者:三遊亭円朝
前さんが七年|前に清水さんを殺した其の白骨でも出さなけりゃア、跡に残った女房子が七回忌になりやしても、訪い吊いも出来やせん」 と云いながら、ぐるりっと上げ胡坐....
備忘録」より 著者:寺田寅彦
を見たのはわずかに三度か四度くらいのものである。そのうちの一度は夏目先生のたしか七回忌に雑司が谷の墓地でである。大概洋服でなければ羽織袴を着た人たちのなかで芥川....
マダム貞奴」より 著者:長谷川時雨
デモナを、靹音《ともね》夫人という名にして勤めたのが、初舞台である。そして亡夫の七回忌にあたる大正六年十月、日本橋区久松町の明治座で女優生活十五年間の引退興行を....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
うである。この重種の父もやはり三条西家奉公人であったらしく、延徳二年その亡父の十七回忌に当ったので、家中衆が斎食の儲をした記事が見える。延徳三年の春からして、こ....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
うです。でも今はケロリとしているのよ、そしてお経を二通りよみました。お祖母様の十七回忌の由です、だから二つなの。あなたの大好きなお祖母様だったという方でしょうと....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
友ちゃんが十月にお産と云えば九月以降から十一月はふさがりますし。来年はもう父上の七回忌に当ります。六月にはよほどのことのない限り上りたいと考えていますから、今年....
こま犬」より 著者:岡本綺堂
というのである。 「そんなわけで別に面白いことも何にもなかった。勿論、おやじの十七回忌の法事に参列するために帰ったので、初めから面白ずくの旅行ではなかったのだが....
鼠坂」より 著者:森鴎外
主人が小川に言った。「さっきの話は旧暦の除夜だったと君は云ったから、丁度今日が七回忌だ。」 小川は黙って主人の顔を見た。そして女中の跡に附いて、平山と並んで....
顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
の郷里へも、この六七年、足をむけたことがない。 ところで、この二十一日は亡父の七回忌で、どうでも法要につかねばならねえという親類一統の手詰《てづめ》の強文章《....
あなたも私も」より 著者:久生十蘭
父は、玄関のわき間を通って、客間らしい部屋へサト子を案内すると、 「けさ、亡妻の七回忌をやったままなので、失礼して、ちょっと着かえてきます」 そう言って、部屋....
自作肖像漫談」より 著者:高村光太郎
十一時五十八分四十五秒も丁度その胸像をいじっている時であった。その胸像は先生の十七回忌の年にやっと出来上って目白の講堂に納めた。長くかかったわりに思うように良く....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
門之助を襲名し、伊原青々園作「出雲の阿国」を勤む。 ○九月、明治座にて先代左団次七回忌追善興行。同時に市川荒次郎の遺子福蔵、二代目荒次郎を襲名す。 ○九月、歌舞....