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七島
「七島〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
七島の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「星あかり」より 著者:泉鏡花
は違って、霊山ヶ|崎の突端と小坪の浜でおしまわした遠浅は、暗黒の色を帯び、伊豆の
七島も見ゆるという蒼海原は、ささ濁に濁って、果なくおっかぶさったように堆い水面は....
「空襲葬送曲」より 著者:海野十三
げる臨時ニュースに耳を傾けていた。 「唯今午後七時三十分、米国空軍の主力は、伊豆
七島の南端、三宅島の上空を通過いたして居ります旨、同島の防空監視哨から報告がござ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
図会』を繙《ひもと》くと、二見浦《ふたみのうら》の東|神前《みさき》の東北海中に
七島あり阿波良岐《あはらき》島という、また毛无《けなし》島とてまるで巌で草木なき....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
としたからこんな評判も立ったのだ。大正八年三月の『飛騨史壇』、故三嶋正英の『伊豆
七島風土細覧』に新島《にいじま》の乱塔場に新しく鶏を放ち飼った土俗を載せある。こ....
「空襲下の日本」より 著者:海野十三
本土を離れた太平洋上にも、海軍の航空隊が頑張っている。東京湾の南へ二百キロ、伊豆
七島の八丈島には、海軍の八丈島航空隊、その南方、更に六百キロの小笠原諸島の父島に....
「石ころ路」より 著者:田畑修一郎
てきたんだが、そして着くなりそのまま檜垣の家に厄介になっていたが、檜垣の家は伊豆
七島|屈指の海産物問屋で、父親がその方をやっていた。檜垣自身は専売局出張所の役人....
「後の業平文治」より 著者:三遊亭円朝
もお町は悲哀胸に迫って欄干に掴まったまゝ忍び泣をして居りまする。さて三宅島は伊豆
七島の中でありまして、最も罪人の沢山まいる処であります。先ず島へ船が着きますると....
「無人島に生きる十六人」より 著者:須川邦彦
格者。まったく、たよりになる参謀であった。 漁業長の鈴木孝吉郎。この人は、伊豆
七島から、小笠原諸島にかけて、漁業には深い経験のある漁夫出身者で、いくどか難船し....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
から中世まで、各時代のミヤコ言葉が残っているのはすでに奈良朝時代からクゲの流人が
七島へ送られた記録がハッキリしているのだから、うなずける。あなうたてやな、はタメ....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
、または四国を一巡したり、紀伊半島を廻ったり、中部日本へ上陸したり、更に遠く伊豆
七島や関東、奥州の北辺にまで安住の地をもとめた氏族もあったであろう。そして彼らは....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
を見ると、江戸を出るとき、この船にはたしかに二十三人の人間が乗っていた。 伊豆
七島へ差しおくる囚人が七人。役人は、御船手、水主《かこ》同心|森田三之丞《もりた....
「蜻蛉返り」より 著者:佐藤垢石
い。石廊岬の突端で、姿を没した鰡群は駿河湾の真ん中へ出てしまうのか、それとも伊豆
七島の方の太平洋へ旅するのか、仲木や松崎の方へは姿を見せないという。 なんとなく、からすみで一杯やりたくなった。....
「植物知識」より 著者:牧野富太郎
て著名《ちょめい》なもので、その球根が大量に外国に出て行く。 サクユリは、伊豆
七島《いずしちとう》における八丈島《はちじょうじま》の南にある小島青ヶ島の原産で....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
実、三宅島の歴史をみると遠くは天武天皇三年(皇紀一三三六年)三位麻積王の子を伊豆
七島に流すと古書にある。島には有名流罪人の史跡が多い。三宅島という名の由来も養老....
「こども風土記」より 著者:柳田国男
と姥との応対を真似たことが、ゴコトンボの名の起りであった。それによく似た例は伊豆
七島の三宅島の一部で、ままごとをネザンバまたはネタンバアということで、これは「ね....