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七言絶句
「七言絶句〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
七言絶句の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「草枕」より 著者:夏目漱石
これが春水の替え蓋」と老人は綸子《りんず》で張った薄い蓋を見せる。上に春水の字で
七言絶句《しちごんぜっく》が書いてある。 「なるほど。春水はようかく。ようかくが....
「新生」より 著者:島崎藤村
節子の字があった。節子の書いたのは、二十代でこの世を去ったある人の遺《のこ》した
七言絶句であった。
「へえ、節ちゃんの書いた字はまるで男のようですね」
と言う....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
代りにこれを上げよう。」 前に貰ったのよりも遥かに上等な扇子に、将軍が手ずから
七言絶句を書いたのをくれたので、張訓はよろこんで頂戴して帰って、自慢らしく妻にみ....
「断橋奇聞」より 著者:田中貢太郎
なかった。 そして、朝になるのを待ちかねていた世高は、白綾の汗巾へ墨を濃くして
七言絶句を書いた。 天仙なお人の年少を惜む 年少|安ぞ能く仙を慕わざらん 一語三....
「魚玄機」より 著者:森鴎外
も、多く暗記して、その数は古今体を通じて数十篇に及んでいた。十三歳の時玄機は始て
七言絶句を作った。それから十五歳の時には、もう魚家の少女の詩と云うものが好事者の....
「碁の手直り表」より 著者:菊池寛
に、その卓子を前にして、いつも坐っていた。その背後には、権藤成郷氏が直木に贈った
七言絶句の詩がかかっていた。 烏 兎 慌 忙 憂 不 絶。 一 年 更 覚 ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
民多田嘉助が睨《にら》んだからだという。 道庵は、そこで、どうした風の吹廻しか
七言絶句《しちごんぜっく》を三つばかり作って、同行の有志家たちに見せました。 ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
した指は撤回しない。 「これは、近藤に頼んで僕が書いてもらったのだ、彼の詩だよ、
七言絶句だよ、いいかい、僕が読み且つ吟ずるから聞いて居給えよ」 と斎藤は婆心を加....
「狼疾記」より 著者:中島敦
と彼は考えない訳に行かない。例えば、先週勤め先の学校で国漢の老教師が近作だという
七言絶句を職員室の誰彼に朗読して聞かせていた時、父祖伝来の儒家に育った自分が冗談....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
おのらんざん》自筆の掛軸一個も気前よく同君に進呈しておいた。それに蘭山先生得意の
七言絶句詩が揮亳《きごう》せられてあったが、今その全文を忘れた。なんでも山漆、鶴....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
いる。谷川をへだてて汽車の煙があがると、たちまちにそれはやってきたのであった。)
七言絶句は五言と意趣を同じくするもの多く、重複の気味あるも、左にその全部を掲ぐ。....