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「七里ヶ浜〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

七里ヶ浜の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
虚構の春」より 著者:太宰治
して、その折、練習に練習を重ねて、ほとんど諳誦できるくらいになってしまいました。七里ヶ浜の磯《いそ》づたい、という、あの文章です。きっと子供ながら、その風景にあ....
オリンポスの果実」より 著者:田中英光
ら》ヶ崎《さき》につい昨年|迄《まで》、おられたことが解《わか》り、二人の間に、七里ヶ浜や極楽寺《ごくらくじ》辺《あた》りの景色や土地の人の噂《うわさ》などがは....
四月馬鹿」より 著者:渡辺温
間先に、文太郎君とその恋人とが江の島に着いているとすれば、まず人目の少い片瀬から七里ヶ浜の砂浜辺りで、肩すり寄せて語らい合っているかも知れないと思われたからです....
冬の海」より 著者:宮本百合子
線が、いつでも私の頭――眼玉の奥をいたくさせるのである。 此処いら――江の島、七里ヶ浜あたりの波は随分と低い。 それに、すぐ目の前に江の島の、あの安っぽい棧....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
がもう時々鳴くでしょう。 八月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(江の島七里ヶ浜の写真絵はがき)〕 八月三日、今午後三時半。わたしのおきまりの午睡から....
名人地獄」より 著者:国枝史郎
「早速ながら訊くことがある」 「は、は、何事でござりましょうか?」 「今月初旬、七里ヶ浜沖で、そちの持ち船|琴平丸、賊難に遭ったということだな。書き上げによって....
墓が呼んでいる」より 著者:橘外男
から、またからだの違和を感じて、父と母の厳命で、その年の夏から秋へかけては、到頭七里ヶ浜の湘南サナトリウムで、懊悩しながら療養の日を送ってしまいました。 来月....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、その年を越え、彼のぶらり駒は、依然何の変哲もなく、武者所の門へ折々通っていた。七里ヶ浜の“大馬揃い”は、恒例、正月二十日だった。 これは壮観をきわめる。 ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
意外な邂逅を驚き合い、あれから俄に道をかえて来た二人だった。 所は、小壺ノ浦。七里ヶ浜も東で切れた磯山の松風の中。 朽ちはてた“雪見ノ亭”の古縁に、高氏は腰....
私本太平記」より 著者:吉川英治
た。 ほどなくこの一勢の影は、金洗い坂の府門を出て、稲村ヶ崎もすぎ、ようやく、七里ヶ浜のへんでは、その歩調もすこしゆるやかだった。 「兄者」 直義はふりかえ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
蔵人七郎氏義というものだった。 「七郎、大手への先陣をつとめろ。――すぐ腰越から七里ヶ浜を駈けて、極楽寺の下へせまるのだ」 「これは……」と、蔵人ノ七郎は武者ぶ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
合戦 駿河の高橋縄手(興津附近) 箱根越の山いくさ 相模川渡河戦 片瀬、七里ヶ浜 鎌倉口 と、敗走に敗走をかさねた。足利方は、要害七ヵ所七度のたたか....