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万暦
「万暦〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
万暦の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「如是我聞」より 著者:太宰治
して来たのだろう。ただ、大きい活字の本をこさえているようにだけしか思われない。「
万暦赤絵」とかいうものも読んだけれど、阿呆らしいものであった。いい気なものだと思....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
以下。兵数各々一万一千を超え、ほとんど全軍騎兵である。 文禄二年(明暦で云えば
万暦二十一年)の正月元日、この三脇の大軍は安州城南に布陣した。当時朝鮮の非常時内....
「骨董」より 著者:幸田露伴
骨董好きは教えられるところがあろうが、談はまだ続くのである。それから年月を経て、
万暦の末年頃、淮安に杜九如というものがあった。これは商人で、大身上で、素敵な物を....
「運命」より 著者:幸田露伴
代しろしめすことは正しく五歳にわたりたもう。然るに廟諡を得たもうこと無く、正徳、
万暦、崇禎の間、事しば/\議せられて、而も遂に行われず、明亡び、清起りて、乾隆元....
「義猴記」より 著者:田中貢太郎
支那の
万暦年中、毘陵に猿曳の乞児があって、日々一|疋の猴を伴れて、街坊に往き、それに技....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
治法を施したのである。曼公、名は笠、杭州仁和県の人で、曼公とはその字である。明の
万暦二十四年の生であるから、長崎に来た時は五十八歳であった。曼公が周防国岩国に足....
「旅愁」より 著者:横光利一
類が、昇って来た人の脚音をそれぞれじっと聞くようだった。高麗の水差、鶏龍の蓋物、
万暦の皿、粉挽の鉢、と、ここのはすべて、人が器物を観賞するという配列ではなく、器....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
拠れば、大正十二年より三百九年前に当る慶長十九年正月六十九歳で死んだ。明の神宗の
万暦四十二年に当る。体が太った者をブタと名付けたのを見ると、肥え脹れたのを形容し....
「文芸時評」より 著者:宮本百合子
んな方角へ出て来ているかという点が真面目に考えられるのである。「札入」の作者は「
万暦赤絵」がその経済的知的貴族性から持っていない俗塵、世塵を正面から引かぶろうと....
「落ちたままのネジ」より 著者:宮本百合子
座の構えによって、その構えを可能にしている土台のある限り、志賀氏のリアリズムは「
万暦赤絵」の境地に安坐するであろう。そう思ったのであった。 「強者連盟」の梅雄の....
「肝臓先生」より 著者:坂口安吾
闘え! 闘え! ★ ある日、先生が好古堂という骨董屋で、
万暦物のニセモノの小茶碗を手にとりあげて眺めていると、道の左右から自転車にのった....
「文化史上より見たる日本の数学」より 著者:三上義夫
にほかならぬ。毛利重能も『算法統宗』を得てこれを学んだといわれている。『統宗』は
万暦二十年程大位作の書にして算盤《そろばん》の算法をも説き、毛利は算盤を伝授した....
「孔子」より 著者:和辻哲郎
、『金瓶梅』のごときを特徴とする。唐宋の醇美な彫刻絵画に対して、明は宣徳・嘉靖・
万暦の陶瓷、剔紅、填漆の類を特徴とする。ただ学術においては、唐宋における仏教哲学....
「失うた帳面を記憶力で書き復した人」より 著者:南方熊楠
せん、と。筆を取って疾く録《しる》すに、一字を爽《たが》えず、云々」と。この書は
万暦三十七年(わが慶長十四年)ごろ成った証がその巻四にある。林誌もたぶんそのころ....