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「万福寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

万福寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
鍵屋の辻」より 著者:直木三十五
鳥取にも跡が判っている。数馬の家も粟屋町に残っている。川合又五郎の墓は上野の寺町万福寺にあって、念仏寺の川合武右衛門の墓と隣同志になっている。外の連中のは何も残....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
も、相州三浦の方から移って来た青山|監物の第二子であった。ここに一宇を建立して、万福寺と名づけたのも、これまた同じ人であった。万福寺殿昌屋常久禅定門、俗名青山次....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
は一方に平戸藩主の一行を待ち受け、馬籠お泊まりという武家衆のために三十余人の客を万福寺にまで割り当てることを心配しなければならなかった。 六月の十日が来て、京....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
した光景を早く村民から隠したいと考えるのも半蔵である。彼は周囲を見回した。村には万福寺もある。そこの境内には無縁の者を葬るべき墓地もある。早くもとの首桶に納めた....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
うなめんどうな仕事を控えているからであった。一方にはまた、学事掛りとしても、村の万福寺の横手に仮校舎の普請の落成するまで、さしあたり寺内を仮教場にあて、従来寺小....
長崎の印象」より 著者:宮本百合子
を閉めて行った本堂前の、落葉のある甃を歩き廻りながら、私共は、懐しく京都の黄檗山万福寺の境内を思い出した。去年、始めて私は観たのだが、彼処はよかった。全くよかっ....
長崎の一瞥」より 著者:宮本百合子
特別保護建造物になって居るが、私共の趣味ではよさを直感されなかった。京都の黄檗山万福寺と同様、大雄宝殿其他の建物を甃の廻廊で接続させてあるのだが、山端《やまはな....
霧陰伊香保湯煙」より 著者:三遊亭円朝
「私も是れから帰り掛けにちょっくら顔を出さねえばなんねえが、此の瑞穂野村てえ処に万福寺と云うお寺があるんだ、其処にもと九段坂上に居た久留島修理さまてえ方が田地を....
日本文化私観」より 著者:坂口安吾
も勘弁していただきたい、と、取調室にいるように三拝九拝していた。 宇治の黄檗山万福寺は隠元の創建にかかる寺だが、隠元によれば、寺院建築の要諦は荘厳ということで....
植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
一つはそれより後に渡ったインゲンマメである。元来インゲンマメは昔山城宇治の黄檗山万福寺《おうばくせんまんぷくじ》の開祖|隠元禅師《いんげんぜんじ》が、明の時代に....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
関することを度々照会して、手紙の往復が絶えませんでした。時には宇治までも行って、万福寺の墓地にある碑文を写して来たりなどもしました。帰京後にも、伝記に関しては、....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
尺ぐらいな竹の筒ではありませんか」 「あっ、それだ」 「それなら、先刻そなたが、万福寺の下で、馬子衆の繋いでおいた馬に悪戯をして呶鳴られたでしょう」 「ああ……....
日本の伝説」より 著者:柳田国男
すが、いずれも詳しいことは伝わっておりません。 そこから余り遠くない等々力村の万福寺という寺にも、親鸞上人の御箸杉という大木が二本あって、それ故に、また杉の御....