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「万里小路〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

万里小路の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
乱世」より 著者:菊池寛
った。彼らは、赤報隊と称して、錦の御旗を先頭に立て、二百人に近い同勢が、鎮撫使の万里小路侍従を取り囲んでいた。彼らの多くは、陣羽織に野袴を穿いて旧式の六匁銃など....
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
方武士など大体こんな調子であろう。伝うる所によれば、諸国から恩賞を請うて入洛し、万里小路坊門の恩賞局に殺到する武士の数は、引きも切らなかったと言う。だから充分な....
織田信長」より 著者:坂口安吾
のである。 信長へ綸旨と女房奉書をだしては、と立入左京亮から話を持ちかけられた万里小路大納言|惟房は、おまえ大変なことを言う、さても、困った、困った、と言った....
平賀源内捕物帳」より 著者:久生十蘭
から、日頃ご無沙汰の分もふくめ、方々のお座敷を勤めておりました。そのうち、京都の万里小路《までのこうじ》というお公卿《くげ》のお姫さまの殺手姫《さでひめ》さまと....
私本太平記」より 著者:吉川英治
るお若き天子に、つねづね侍き申しあげ、また政務をみそなわす記録所には、吉田定房、万里小路宣房、北畠親房の三卿を登用召され、世間ではそれを“三|房ノ智”と申したり....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、近衛経忠、参議ノ光顕、坊門ノ清忠、権中納言実世……。 なお、しばらくしては。万里小路宣房、三条|公明、藤原ノ藤房、二条道平、北畠顕房、吉田ノ大納言定房まで―....
私本太平記」より 著者:吉川英治
との父であり、天皇の御信任はもちろんのこと、いわゆる“重臣の三|房”(北畠親房、万里小路宣房、吉田定房)と呼ばれている一人である。 「御密書とは?」 それすら....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、併せて、 「これよりすぐ下山して、密かに禁中へ罷り、花山院(大納言|師賢)か、万里小路(宣房)へこの二通を手わたし、時を措かず、奏聞に達せよと、くれぐれ申せ。....
私本太平記」より 著者:吉川英治
よりにか、いと忍びがたく思されければ、とかくたばかりて、盗み奉らせ給ひて、冷泉ノ万里小路殿におはします。 またなく、聞えさせ給ふこと、限りなし。 優雅に言いま....
私本太平記」より 著者:吉川英治
たび朝議にかけても一決せず、朝廷も裁決にこまって、ついに実世を免官とし、大納言|万里小路藤房を、その任にあたらせた。 藤房は、公平厳正な態度で、査定にのぞんだ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
しくない木ぐちの新しさと木の香だった。 旧高倉の将軍御所は義詮に渡して、二条|万里小路に去年造営されたものである。尊氏はそれだけでなく、やがては、将軍職のすべ....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
いのだった。 書が多い。懐紙、願文、軍状などだ。なかでも格調匂うばかりなのは、万里小路藤房(正成に使いし、笠置落ちにも帝と一しょにいた公卿)の九月十九日とある....