三十三間堂[語句情報] » 三十三間堂

「三十三間堂〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

三十三間堂の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
どと、云いふらす者も出て来た。いや、大蛇ではない。堤に年ふる柳の精であるなどと、三十三間堂の浄瑠璃からでも思いついたようなことを、まざまざしく説明する者もあらわ....
吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
と云うと、細君は不平な顔をして引き下がった。その翌日になると細君が云うには今日は三十三間堂です、私は是非|摂津《せっつ》の三十三間堂が聞きたい。あなたは三十三間....
思い出の記」より 著者:小泉節子
十郎は亡くなりました。 晩年には日本の芝居の事を調べて見たいと申していました。三十三間堂の事を調べてくれと私に申した事もございました。これから少しずつ自伝を書....
南路」より 著者:宮本百合子
さと口上を述べ、部屋から部屋へと通り過るのだ。 私は、良人に、「まるで、京都の三十三間堂ね」と囁いた。 違うと云ったら、京都の案内僧は、説明の抑揚を、 コ....
獄中生活」より 著者:堺利彦
移された。この十一監は十個の本監のほかにある別監で、古風な木造の、チョット京都の三十三間堂を思い出させるような建物である。監房は片側に十個あるだけで、前は廊下を....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
て聞かせてやろうか。 三家三勇士の講釈でも聞いてるだろう、星野勘左衛門が京都の三十三間堂で、寛文の二年に一万二十五本の総矢数《そうやかず》のうち、六千六百六十....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
覆《くつがえ》すの力に充ち満ちていました。 いい形です。運慶の刻んだ神将だの、三十三間堂の二十八部衆のうちに、まさにこれに類する形がありまして、わが宇治山田の....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
健康状態。 八月二十三日 〔網走刑務所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(京都三十三間堂の写真絵はがき)〕 八月二十三日 寿江子の安否気づかって、あちらこ....
日本文化私観」より 著者:坂口安吾
にある限りは清濁合せ呑むの概がある。城を築けば、途方もない大きな石を持ってくる。三十三間堂の塀ときては塀の中の巨人であるし、智積院の屏風ときては、あの前に坐った....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
は美しいと思ったが、襖絵なんかは悲しいね。秀吉の遺した桃山芸術、智積院の襖絵だの三十三間堂の太閤塀などという豪放ケンランたるものの片鱗すらも見られない。今は失わ....
雨夜の駅」より 著者:宮城道雄
ったので、私はさっきの続きを考えはじめると、おばあさんが急に眼を醒まして、今度は三十三間堂のさわりを始めた。その声が誰にも聞こえない程小さいので、私にはそれが一....
釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
矢は、もそっと長え。」藤吉は眼を閉《つぶ》ったまま、「関の六蔵|一安《かずやす》三十三間堂射抜の矢、あれだ。いやに太短えもんなあ。」 「へえい! するてえと?」....
白花の朝顔」より 著者:泉鏡花
役者のある女形に誘われて、京へ飛んだ。初のぼりだのに、宇治も瀬田も聞いたばかり。三十三間堂、金閣寺、両本願寺の屋根も見ず知らず、五条、三条も分らずに、およそ六日....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
五厘の駄菓子や塩せんべいなどを売りに来た。わたしは一個八厘の樽柿をかじりながら「三十三間堂」のお柳の別れを愉快に見物したことを記憶している。 今日では、どこの....
御堀端三題」より 著者:岡本綺堂
そろそろ散り始める頃、むざんの斧や鋸がこの古木に祟って、浄瑠璃に聞き慣れている「三十三間堂棟由来」の悲劇をここに演出した。立ちン坊もどこかへ巣を換えた。氷屋も甘....