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三善清行
「三善清行〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
三善清行の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
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「間人考」より 著者:喜田貞吉
自ら公民の資格を放棄し、課役を避けて僧となったものが天下三分の二の多きに及んだと
三善清行は言っている。所謂下司法師・中間法師の徒となったので、その多数はともかく....
「沙門と屠児」より 著者:喜田貞吉
沙門と屠児 喜田貞吉
三善清行の「意見封事」に、延喜頃の人民が課役を避けんが為に出家して、天下の民三分....
「牛捨場馬捨場」より 著者:喜田貞吉
が、自ら身を沙門に扮して出家逃亡するに至った浮浪民の群である。延喜の時代において
三善清行は、公民が課役を避けて逃亡し、為に課丁の甚だしく減少した事を極言している....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
喰うというだけの事であった。そしてそれが為に彼らは餌取の名を与えられていたのだ。
三善清行の「意見封事」に、脱税出家の沙門の徒を評して、その「家に妻子を蓄へ口に腥....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
、特にこれを禁止したものであったと解せられる。 ここに濫僧とは、当時の文章博士
三善清行の「意見封事」に、当時の人民課役を避けんが為に、私に髪を剃り、猥りに法服....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
としたり、歌舞をもって物貰いの方便としていたのであった。そこへ平安朝になっては、
三善清行のいわゆる「家に妻子を蓄へ、口に腥※を啜ひ、形は沙門に依て心は屠児の如き....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
大層たくさんにできました。延喜といえば今から千十余年の昔ですが、その頃の文章博士
三善清行の上奏の文によると、当時の天下の民の三分の二は、みなこの偽法師仲間であっ....
「濫僧考」より 著者:喜田貞吉
ことは、右の「塵袋」の文で明白だ。しからばその濫僧の起原やいかに。 延喜十四年
三善清行の上った「意見封事」十二個条のうちに、 、及び宿衛舎人の凶暴を禁ぜんと請....
「濫僧考補遺」より 著者:喜田貞吉
補っておく。 濫僧はもちろん沙門である。したがって法師と呼ばれてはいたが、実は
三善清行によって「形は沙門に似て心は屠児の如し」と言われたように、普通の沙門の仲....