三多[語句情報] » 三多

「三多〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

三多の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
村を識って居る人は、皆が稼ぎ様の猛烈になったに驚いて居る。政党騒ぎと賭博は昔から三多摩の名物であった。此頃では、選挙争に人死はなくなった。儂が越して来た当座は、....
名娼満月」より 著者:夢野久作
ところがツイ二三年前のこと、甲州生れの大工上りとかいう全身に黥をした大入道で、三多羅和尚という豪傑坊主が、人々の噂を聞いて、一番俺がその妖怪を退治てくれようと....
それに偽りがないならば」より 著者:宮本百合子
偽証罪で公訴されている石川政信(二七)元鉄道技術研究所員と金忠権(三一)元『三多摩民報』記者らはこう陳述している。「私は一ツ云いたいことがあります。それは、....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
分らないので、私は帰れるのかしらとベソをがまんしている。 国会開設前の時流は、三多摩の壮士が竹|鎗《やり》で、何百人押寄せてくるのなんのと、殺伐な空気であった....
生前身後の事」より 著者:中里介山
られない、殊に政党の振わざる今日に於て星を思うこと痛切なるものがある、余の生れた三多摩地方は皆殆んど星の党であるのに、余は幼少より少しもそんな感化も影響も受けず....
中里介山の『大菩薩峠』」より 著者:三田村鳶魚
なってからよりも、その少年時代というものに、よほど美しい話を持った人だ。いつにも三多摩からは人が出ていない。われわれの知っている人でも、結構な人だと思う人は、多....
子規居士と余」より 著者:高浜虚子
か博徒の子分であったとか饗庭篁村氏の書生であったとかいう事のみが伝えられていた。三多摩郡の吉野左衛門君の家に書生をしていた頃から『日本新聞』に投句して我ら仲間の....
私本太平記」より 著者:吉川英治
る。――そのため友軍二タ手が先を争い合って、やたらに民家へ火をかけちらし、無二無三多くの兵を死なしているにちがいない。 おろかなことだ。犠牲はぜひがないとして....
野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
ンポン、同じく河原田ではチャンチャンポンポンとさえいっている。 私たちの今住む三多摩地方には、タッポまたはタッタッポという例がかなり多く、これもまた一筋東北の....