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「三好〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

三好の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
自叙伝」より 著者:大杉栄
寸何分かになった。 四 中学校の校長は、先年皇子傅育官長になって死んだ、三好愛吉先生だった。 僕等は先生を孔子様とあだ名していた。それは先生が孔子様の....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
さまじい雷が鳴りひびいて、江戸市中の幾ヵ所に落ちかかった。 そのなかで、浅草|三好町の雷が尾張屋という米屋の蔵前に落ちて、お朝という今年十九の娘を殺した。重吉....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
いう船頭が何者にか殺害されたことである。浄心寺のうしろは山本町で、その山本町から三好町の材木置場へ通うところに小さな橋がある。寅吉の死骸はその橋の下に浮かんでい....
深見夫人の死」より 著者:岡本綺堂
ことを素っ破抜かれるぜ。」 奥さんも私も笑い出した。 多代子はFの町の近在の三好という豪農のむすめで、兄の透という青年と一緒に上京して、ある女学校に通ってい....
猿飛佐助」より 著者:織田作之助
から一月ばかりたったある日のことである。 「工夫に富める」上田の城主、真田幸村は三好清海入道はじめ、三好伊三、穴山、望月、海野、筧等六人の荒子姓を従えて、鳥居峠....
書記官」より 著者:川上眉山
ぜひ私の方へも、と辰弥も挨拶に後れず軽く腰を屈めつ。 かくして辰弥は布袋の名の三好善平なることを知りぬ。娘は末の子の光代とて、秘蔵のものなる由も事のついでに知....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
弟羽柴秀長、稲葉一徹等を第一軍(二万五千)として、近江甲賀郡|土岐多羅越より、甥三好秀次、中村|一氏等を第二軍(二万)として大君畑越より、秀吉自らは第三軍(三万....
田原坂合戦」より 著者:菊池寛
あり、之に砲工兵各々一小隊が加って、総員三千余人だった。最初野津少将の第一旅団、三好少将の第二旅団、総兵四千ばかりに、熊本鎮圧、歩兵第十四運隊の凡そ二千余が加っ....
時 処 人」より 著者:岸田国士
ぞれ古稀庵、滄浪閣と名づけて、今もその跡が残つている。 北原白秋も谷崎潤一郎も三好達治も、いずれもこの地を愛し、この地に何ものかをとどめ、そして遂にこの地を去....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
れが猿牽と共に、往々人形使いや義太夫語りになっている。この掃除は、阿波では美馬・三好地方に多かった様であるが、他ではエタや猿牽・茶筅の中へ雑ってしまったのであろ....
エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
してこれを賤しんだという様な事は想像されぬ。別項「青屋考」中に述べた如く、細川・三好時代の阿波に於いては、一方に僧侶の或る者からは、エタ仲間と認められた青屋が甚....
サンカ者名義考」より 著者:喜田貞吉
が皮作りの職人のみでなく、かつては浄人(塵袋)をも、河原者(※嚢抄)をも、青屋(三好記雍州府志)をも、エタの名を以て呼んでいた事は、「エタと皮多」(三巻六号)の....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
日いよいよ議事堂で山形県史蹟名勝天然紀念物の調査会が開かれた。内務省から理学博士三好学君が見えられて、種々調査上の注意のお話がある。自分もお相伴して、山形県下の....
旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
区別しなかったことは祇園祭の神輿をエタに舁かしたとか、エタに井戸を掘らせたとか、三好長春がエタの子を小姓に召し抱えたとか、武士が持参金付のエタの娘を息子の嫁に取....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
かについて、こういう事実がある。阿波の国では、室町時代の末から戦国時代にかけて、三好氏が勢力を有していたが、当時エタの事を「青屋」と云って、真言寺の方では甚だし....