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「三子〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

三子の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
芥川の事ども」より 著者:菊池寛
に文芸的であったため、たくさん売れなかった。そして、その印税も編集を手伝った二、三子に分たれたので、芥川としてはその労の十分の一の報酬も得られなかったくらいであ....
厳島合戦」より 著者:菊池寛
戦の時、恰度五十二歳の分別盛りである。長子隆元三十二歳、次子|吉川元春二十三歳、三子隆景二十二歳。吉川元春は、時人梅雪と称した。 熊谷伊豆守の娘が醜婦で、誰も....
近時政論考」より 著者:陸羯南
し晦跡の英傑を談ずれば必ず指を先生に屈す。先生つねに世運の衰替を慨し、かつて二、三子と大道協会なるものを興して儒仏の真理を講ぜんことを計る。これを先生近来の事業....
ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
ぱちぱちと散った。 「――雅家、北畠と号す――北畠親房その子|顕家、顕信、顕能の三子と共に南朝無二の忠臣、楠公父子と比肩すべきもの、神皇正統記を著わして皇国の正....
富岡先生」より 著者:国木田独歩
で事が足りる師範学校に入って卒業して小学教員となった。天分に於ては決して彼等|二三子には、劣らないが今では富岡先生すら何とかかんとか言っても矢張り自分よりか大津....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
き慕ぶ東女を忘れたまふな 〔巻四・五二一〕 常陸娘子 藤原|宇合(藤原不比等第三子)が常陸守になって任地に数年いたが、任果てて京に帰る時、(養老七年頃か)常陸....
宝島」より 著者:佐々木直次郎
行し、軍隊や人民に盛んに歌われた。 五九 カムバランド公爵。――ジョージ二世の第三子、イギリスの将軍であるウィリヤム・オーガスタス(一七二一――一七六五)。 六....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
出張で行かれないから、妻ヤスノ(三四)が多津子(十五)秀夫(十二)大三(七ツ)の三子をつれ、家令今村左伝(六二)同人妻カメ女(五五)と、ハツエ(二二)佐和子(十....
「菊池寛全集」の序」より 著者:芥川竜之介
る才能に乏しかった、と云う事実を指したのであろう。この意味では菊池寛も、文壇の二三子と比較した場合、必しも卓越した芸術家ではない。たとえば彼の作品中、絵画的効果....
天草四郎の妖術」より 著者:国枝史郎
た。九州天草大矢野郷越野浦の郷士であり曾ては小西行長の右筆まで為た増田甚兵衛の第三子でありましたが何より人を驚かせたのは其珠のような容貌で、倫を絶した美貌のため....
安吾人生案内」より 著者:坂口安吾
った。学生の晩香を追慕する情は誠に涙ぐましいものがある。晩香亡き後、私はむしろ二三子の手に死なんと願うものである。(と言っても決して長男夫婦の孝志を辞する訳では....
チェーホフ試論」より 著者:神西清
フに近いタガンローグに定住して、商家の娘を娶った。チェーホフは彼らの間に生れた第三子である。チェーホフは自分を小ロシア人と手紙の中で呼んでいる。勿論例の冗談であ....
五重塔」より 著者:幸田露伴
、汝も飲れと与うれば、お吉一口、つけて、置き、焼きかけの海苔畳み折って、追っつけ三子の来そうなもの、と魚屋の名を独り語しつ、猪口を返して酌せし後、上々吉と腹に思....
古事記」より 著者:太安万侶
をオホケツ姫といい、土佐《とさ》の國をタケヨリワケといいます。次に隱岐《おき》の三子《みつご》の島をお生みなさいました。この島はまたの名をアメノオシコロワケとい....
黒猫十三」より 著者:大倉燁子
方もご存じなんでしょう?」 「知っていますよ。顔だけはね」と即座に答えた。 「十三子さんも知っていられるのですね?」 「よく知っています。トミーはダンス・ホール....