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三宅
「三宅〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
三宅の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜行巡査」より 著者:泉鏡花
》だろう」 夜は更《ふ》けたり。天色沈々として風騒がず。見渡すお堀端の往来は、
三宅《みやけ》坂にて一度尽き、さらに一帯の樹立《こだ》ちと相連なる煉瓦屋《れんが....
「空襲葬送曲」より 著者:海野十三
ースに耳を傾けていた。 「唯今午後七時三十分、米国空軍の主力は、伊豆七島の南端、
三宅島の上空を通過いたして居ります旨、同島の防空監視哨から報告がございました。以....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
であった。この界隈の長唄の師匠では、これが一番繁昌して、私の姉も稽古にかよった。
三宅花圃女史もここの門弟であった。お花さんは十九年頃のコレラで死んでしまって、お....
「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
であった。 二十五年前には「国民之友」が漸く生れたばかりで、徳富蘇峰氏が志賀、
三宅両氏と共に並称せられた青年文人であった。硯友社は未だ高等学校内の少年の団体で....
「縷紅新草」より 著者:泉鏡花
用たしで、歯科医は大廻りに赤坂なんだよ。途中、四谷新宿へ突抜けの麹町の大通りから
三宅坂、日比谷、……銀座へ出る……歌舞伎座の前を真直に、目的の明石町までと饒舌っ....
「獄中消息」より 著者:大杉栄
、何とかして手にいれることはできないか。兄キなどは持っていていい本だと思うがね。
三宅博士の宇宙、これも大ぶん高い本だからあえて買うには及ばないが、もし誰か持って....
「夏目先生と滝田さん」より 著者:芥川竜之介
すかな赤味がある位でした。私はいつも云っていたことですが、滝田さんは、徳富蘇峰、
三宅雄二郎の諸氏からずっと下って僕等よりもっと年の若い人にまで原稿を通じて交渉が....
「明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
の思想問題について種々意見を発表したのである。それから自分よりは後輩ではあるが、
三宅雄二郎、井上円了、有賀長雄、大西|祝《はじめ》、清沢満之《きよさわまんし》、....
「思い出草」より 著者:岡本綺堂
人であった。この界隈の長唄の師匠では、これが一番繁昌して、私の姉も稽古に通った。
三宅花圃女史もここの門弟であった。お花さんは十九年頃の虎列剌で死でしまって、お路....
「御堀端三題」より 著者:岡本綺堂
公園は長州屋敷の跡で、俗に長州原と呼ばれ、一面の広い草原となって取残されていた。
三宅坂の方面から参謀本部の下に沿って流れ落ちる大溝は、裁判所の横手から長州原の外....
「浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
クーデターであると断言するものであります。さきに、政府方針の質問演説の際、我党の
三宅正一君が、解散すべきは国会にあらずして自由党そのものであると喝破したものであ....
「まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
社会主義学生の共同生活が行われた。 当時の仲間は、和田巌、中村高一、平野力三、
三宅正一、川俣清音、宮井進一、吉田実、田所輝明、稲村隆一等々で、学生が若き情熱に....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
一、生まれ故郷は
三宅島 わが生まれ故郷
三宅島は大島、八丈島などとともに近世の流罪人の島として有....
「古事記」より 著者:太安万侶
》の木の實 ――タヂマモリの子孫の家に傳えられた説話。―― また天皇、
三宅の連等の祖先のタヂマモリを常世《とこよ》の國に遣して、時じくの香《かぐ》の木....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
ねばならないことは言うまでもない。 昭和十年八月、私は参謀本部課長を拝命した。
三宅坂の勤務は私には初めてのことであり、いろいろ予想外の事に驚かされることが多か....