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三宅花圃
「三宅花圃〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
三宅花圃の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
であった。この界隈の長唄の師匠では、これが一番繁昌して、私の姉も稽古にかよった。
三宅花圃女史もここの門弟であった。お花さんは十九年頃のコレラで死んでしまって、お....
「文学における今日の日本的なるもの」より 著者:宮本百合子
なようではあるが、私に一つのことを想い起させた。それは、明治二十何年という時代、
三宅花圃、田沢稲舟などという婦人が、短篇小説を当時の文芸倶楽部にのせた時、出版書....
「婦人と文学」より 著者:宮本百合子
頃までつづいた。やっと、ほんの少しずつ短いものが公表されるようになったとき、偶然
三宅花圃の思い出話をよんで、そこに語られている樋口一葉と花圃との対照的な姿につよ....
「婦人作家」より 著者:宮本百合子
訴えかけてゆくような真実の社会性はめざめていなかった。 一八八八年、田辺龍子(
三宅花圃)が発表した「藪の鶯」が、婦人によって生まれたやや文学らしい文学の第一歩....
「私たちの建設」より 著者:宮本百合子
人作家というものがどのように女の生活を見ていたかが非常によく分る。明治二十年代に
三宅花圃が「藪の鶯」という小説を書いた。坪内逍遙が「当世書生気質」を発表した頃で....
「年譜」より 著者:宮本百合子
、文芸春秋に「からたち」随筆四、五枚を書いた。これは発表された。七月中央公論に、
三宅花圃と一葉とのことを書いた随筆を書いた。それも発表された。こうして理由なしに....
「樋口一葉」より 著者:長谷川時雨
新聞』の文芸担当記者が、当時の才媛について、萩の屋門下の夏子と龍子《たつこ》――
三宅花圃《みやけかほ》女史――の評を求めたおり、歌子は、龍子は紫式部であり夏子は....
「思い出草」より 著者:岡本綺堂
人であった。この界隈の長唄の師匠では、これが一番繁昌して、私の姉も稽古に通った。
三宅花圃女史もここの門弟であった。お花さんは十九年頃の虎列剌で死でしまって、お路....