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三尊
「三尊〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
三尊の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
また禅を通じて道教の理想の現われた結果である。儒教の根深い両元主義も、北方仏教の
三尊崇拝も、決して均斉の表現に反対したものではなかった。実際、もしシナ古代の青銅....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
て、まずそれでお清書は上がるのです。 すると、三番目の稽古に掛かるのが不動様の
三尊である。不動様は今日でもそうであるが、その頃は、一層|成田の不動様が盛んであ....
「白峰山脈縦断記」より 著者:小島烏水
丈もあろうかと思うような、黒い巨人が、ヌーッと立っている、富士登りの道者のいう、
三尊の阿弥陀の来迎はこれだ、侏儒のような人間が、天空に映像されたときに、このよう....
「風流仏」より 著者:幸田露伴
発端 如是我聞 上 一向専念の修業|幾年
三尊四天王十二童子十六|羅漢さては五百羅漢、までを胸中に蔵めて鉈小刀に彫り浮かべ....
「七宝の柱」より 著者:泉鏡花
隅にある、まことに天上の柱である。須弥壇は四座あって、壇上には弥陀、観音、勢至の
三尊、二天、六地蔵が安置され、壇の中は、真中に清衡、左に基衡、右に秀衡の棺が納ま....
「後光殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
幕になっている。幕が開け放しになっているので、眼が暗さに慣れるにつれて、中の薬師
三尊が、如何にも熱帯人らしい豊かな聖容を現わして来た。中央は坐像の薬師如来、左右....
「「平家物語」ぬきほ(言文一致訳)」より 著者:作者不詳
迷って行ってどんな岩のかどでも苔の上でも松の様にたおれてしまうまでも念仏してみだ
三尊の来迎にあずかりましょうから」と涙をとめどもなく流して云ったので義王「マア、....
「生死卍巴」より 著者:国枝史郎
ラオであり、墳塋は教主のマホメットと、その子と、弘教者のオメルとの墳塋で、回教の
三尊の墳塋なのであった。 そういう建物や墳塋を蔽うて、洞窟の壁と天井とがあった....
「平泉紀行」より 著者:村山俊太郎
する。 「兼ねて耳驚かしたる二堂開帳す、経堂は三将の像を残し光堂は三代の棺を納め
三尊の仏を安置す、七宝散り失せて珠の風にやぶれ、金の柱、霜雪に朽て既に頽廃空虚の....
「美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
。金堂安置の薬師如来像のような聖徳太子御在世中の造像にかかるものや、同金銅|釈迦
三尊像や、所謂|百済観音像や、夢殿の救世観世音菩薩像、中宮寺の如意輪観音と称する....
「山越しの阿弥陀像の画因」より 著者:折口信夫
僧都自身の心を思わせているということは出来る。横川において感得した相好とすれば、
三尊仏の背景に当るものは叡山東方の空であり、又琵琶の湖が予想せられているもの、と....
「二十六夜」より 著者:宮沢賢治
ちたまうとき、疾翔大力《しっしょうたいりき》、爾迦夷《るかい》波羅夷《はらい》の
三尊《さんぞん》が、東のそらに出現まします。今宵《こよい》は月は異なれど、まこと....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
下に翌五月の歴史地理全部を殆どこれに当ててなお足らず、別に「記録上より薬師寺金堂
三尊の年代を論ず」と題する弁駁論文一篇を、同月の史学雑誌に掲載してもらった事であ....
「法然行伝」より 著者:中里介山
とがある。 又或時草庵を立ち出でて帰って来ると絵像でもなく、木像でもない弥陀の
三尊が垣を離れ、板敷にも天井にもつかずして居られたが、その後はこう云う姿を拝むの....
「回顧と展望」より 著者:高木貞治
時代であったし,殊にベルリンは,例のワイエルシュトラス,クロネッカー,クンメルの
三尊の揃っていた隆盛時代の直後であった.その
三尊はみんな亡くなって,後継者のフッ....