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三山
「三山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
三山の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「雪の白峰」より 著者:小島烏水
る冬の富士を、武蔵野平原から眺めた人は、甲府平原またはその附近の高台地から白峰の
三山が、天外に碧い空を抜いて、劃然《かっきり》と、白銀の玉座を高く据えたのを見て....
「単独行」より 著者:加藤文太郎
と、長野県庁の人々が高山越えをしてやってきた。私はこの大絶壁を有する前岳で、赤石
三山と別れて淋しく国境線の尾根を下って行く。六町くらいきてから国境線を右にそれ北....
「黄鳥の嘆き」より 著者:甲賀三郎
者の中で現在生存している方もあるかも知れまへんので、全部仮名にさして頂きますが、
三山という華族さんの家に起った事件でございまして、闇から闇に葬られましたものの、....
「紀行文家の群れ」より 著者:小島烏水
を指摘されたことを、付随して言ったのだ。 花袋の周旋で『太陽』に載せられた白峰
三山の紀行文は、意外の人の知己を得た。それは『日本風景論』の著者志賀|重昂先生で....
「木の子説法」より 著者:泉鏡花
はただあら筋を言おう。舞台には茸の数が十三出る。が、実はこの怪異を祈伏せようと、
三山の法力を用い、秘密の印を結んで、いら高の数珠を揉めば揉むほど、夥多しく一面に....
「山の湯雑記」より 著者:折口信夫
あった。其中では、やっぱり月山筍が一番印象している。おなじ地竹と言っても、羽後の
三山に亘って生える笋は、唯の篶竹のよりは肥えている。鶴岡の市場へ行って見たら、此....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
つ」と云ったのは恣に過ぎた観があっても或は真相を伝えたものかも知れない。「中大兄
三山歌」(巻一・一三)でも「御」の字が無い。然るにこの
三山歌は目録には「中大兄三....
「秋の筑波山」より 著者:大町桂月
りは、男体のみが見えて、女体は見えず。右に豊凶山をひかへ、左に葦穂、加波、雨引の
三山をひかへて、勢、秀抜也。これ側面観なるが、正面より、即ち山麓の臼井村より見れ....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
丹波市から奈良へと平野がつづいている。南に向ってはウネビ、耳成、天ノ香具山の大和
三山にかこまれた平地があって飛鳥の地があり、そこから山岳になって吉野へ熊野へと通....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
があったからであろう。この民族の大部落や統治国であったと思われるところには、概ね
三山信仰を見ることができる。その
三山の中心に居住やミヤコを定めているのである。 ....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
としては勿体なさ過ぎていた。折角苦辛|惨澹して拵え上げた細密なる調査も、故|池辺
三山が二葉亭歿後に私に語った如く参謀本部向き外務省向きであって新聞紙向きではなか....
「皇海山紀行」より 著者:木暮理太郎
山から大洞山に至る秩父の主山脈が、大海のはての蒼波かと怪しまれ、黒檜の上には白峰
三山、赤石、悪沢等南アルプスの大立物が遥に雪の姿を輝し、黒檜と鈴ヶ岳との間に朝与....
「愛に就ての問題」より 著者:小川未明
見ても、子供心に信仰を有たしめるものは、全く母の感化である。 最近の新聞紙は、
三山博士の子供が三人共家出をして苦しんでいるという事実を伝えている。その記事に依....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
付会しておった、徳川時代においても、前号所載香畝生君の「夙の者雪冤運動」所引、谷
三山宛岡本黄中の書信にみゆる如く、奈良坂の夙は二条家に対して三百両という運動費を....
「黒部川奥の山旅」より 著者:木暮理太郎
いるという簡単な動作さえ、長く続けていることを許さないのだ。 劒岳の左には毛勝
三山がすっきりした雪の肌を朝日に照らされて、紫水晶の如く輝いている。其後は真白に....