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「三崎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

三崎の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
」より 著者:芥川竜之介
だった。 「君の家《うち》はどこ?」 「あたしの家《うち》? あたしの家は谷中|三崎町《さんさきちょう》。」 「君一人で住んでいるの?」 「いいえ、お友だちと二....
星座」より 著者:有島武郎
ようだった。 「東京は俺にとっては Virgin soil だ。俺は真先に神田の三崎町にあるトゥヰンビー館に行って円山さんに会った。ちょうど昼飯時だったが、先生....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
「おめえの家《うち》はどこだ」 「谷中《やなか》です」 「谷中はどの辺だ」 「三崎《さんさき》です」 「おめえは市子さんかえ」 「そうです」 「商売は繁昌する....
振動魔」より 著者:海野十三
たり、その頃|流行り出したばかりの麻雀を四人で打ったり、日曜日の午後などには三浦三崎の方面へドライヴしてはゴルフに興じたり、よその見る眼も睦じい四人連れだった。....
自叙伝」より 著者:大杉栄
で岩が突き出て、その向うには鎌倉から片瀬までの海岸や江の島などを控えて、葉山から三崎へ行く街道の中でも一番景色のいいところだった。それに、もう遅すぎるセルでもち....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
ことをすると、すぐに家へ知れるので、私たちは困った。(昭和2・10「時事新報」)三崎町の原 十一月の下旬の晴れた日に、所用あって神田の三崎町まで出かけた。電車....
草迷宮」より 著者:泉鏡花
洋の大濤が、牛の吼ゆるがごとき声して、緩かにしかも凄じく、うう、おお、と呻って、三崎街道の外浜に大|畝りを打つのである。 右から左へ、わずかに瞳を動かすさえ、....
薄紅梅」より 著者:泉鏡花
、袂、懐中、こいつは持てない。辻俥の蹴込へ、ドンと積んで、山塞の中坂を乗下ろし、三崎|町の原を切って、水道橋から壱岐殿坂へ、ありゃありゃと、俥夫と矢声を合わせ、....
霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
てまいりました。 幾月かを過ごす中に、敵の監視もだんだん薄らぎましたので、私は三崎の港から遠くもない、諸磯と申す漁村の方に出てまいりましたが、モーその頃の私に....
光は影を」より 著者:岸田国士
マツキヘデ ンワコウ 美佐急死す、という意味がはつきりするまで、京野等志は、「三崎……三崎……」と、口の中で繰返した。 彼は、黙つて、その電文を父にみせ、傍....
式部小路」より 著者:泉鏡花
のを振切って出て、大塚の通りから、珍らしく俥を驕ると、道の順で、これが団子坂から三崎町、笠森の坂を向うへ上って、石屋の角でさ。谷中の墓地へ出たと思うと、向うから....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
、午前四時あるいは三時頃から自宅を出ることは珍らしくなかった。今と違って、神田の三崎町は三崎の原という大きい草原で、そこには人殺しや追剥ぎの出来事がしばしば繰返....
三崎町の原」より 著者:岡本綺堂
十一月の下旬の晴れた日に、所用あって神田の三崎町まで出かけた。電車道に面した町はしばしば往来しているが、奥の方へは震災以後....
源之助の一生」より 著者:岡本綺堂
れば、大歌舞伎の俳優は小芝居へ出勤することを許されないにもかかわらず、彼は神田の三崎座の舞台開きに出勤したので、東京に身を置き兼ねる破目に陥ったのである。彼が小....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
覚を勤むる団十郎が舞台にて負傷し、半途にて興行中止。 ○川上音二郎の創立せる神田三崎町の川上座、新築落成して七月二日より開場。 ○八月三十一日、中村寿三郎死す、....