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三戸
「三戸〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
三戸の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「突貫紀行」より 著者:幸田露伴
す。この時またみちのりを問うに、さきの答は五十町一里なりけり。とかくして涙ながら
三戸につきぬ。床《とこ》の間《ま》に刀掛《かたなかけ》を置けるは何のためなるにや....
「パルチザン・ウォルコフ」より 著者:黒島伝治
と教会堂の下に麓から谷間へかけて、五六十戸ばかりの家が所々群がり、また時には、二
三戸だけとびはなれて散在していた。これがユフカ村だった。村が静かに、平和に息づい....
「西洋人情話 英国孝子ジョージスミス之伝」より 著者:三遊亭円朝
岸島川口町へ転居して、はや四ヶ年の間に前の河岸にずうっと貸蔵を七つも建て、奥蔵が
三戸前あって、角見世で六間間口の土蔵造、横町に十四五間の高塀が有りまして、九尺の....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
ました。私共が村入当時二十七戸の粕谷が、新家が出来たり、村入があったり、今は三十
三戸です。このあたりもう全くの蔬菜村です。東京が寄って来た事が知れます。現に大東....
「風流仏」より 著者:幸田露伴
あなたは旅の御客、逢も別れも旭日があの木梢離れぬ内、せめては御荷物なりとかつぎて
三戸野馬籠あたりまで御肩を休ませ申したけれどそれも叶わず、斯云う中にも叔父様帰ら....
「四国遍路日記」より 著者:種田山頭火
して半分、またの半分は昼食として、うまかった、うれしかった。 三里ちかく来ると御
三戸橋、ここから面河渓へ入る道が分れている、そこの巨大なる夫婦岩は奥地の風景の尋....
「血曼陀羅紙帳武士」より 著者:国枝史郎
のだそうじゃ。ところが、不思議なことには、この二人、甲州の大尽、鴨屋方に推参し、
三戸前の土蔵を破り、甲州小判大判取り雑ぜ、数万両、他に、刀剣、名画等を幾何ともな....
「不在地主」より 著者:小林多喜二
が粟立つほど、底寒かった。 健達の、このS村は、吹きッさらしの石狩平野に、二、
三戸ずつ、二、
三戸ずつと百戸ほど散らばっていた。それが「停車場のある町」から一筋....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
目下落葉最中なり。松、杉に類する樹もまた多し。人家希有にして、車行数里の間に二、
三戸を見るのみ。ゆえに野外は寂寞荒涼を極め、目を慰むべき風景なし。これを一言すれ....
「春心」より 著者:田中貢太郎
のだから」 「鍵が見つからないなんて、平生の処に置いてあるじゃないの」 土蔵は
三戸前ともに古かった。土蔵の入口にはそれぞれ厚ぼったい土戸が締っていた。小厮の平....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
えて、今度はひた降りに疾走する。 真岡から此処までのうち、私たちは、ほんの二、
三戸の一部落を見たのみであった。 幽邃と幽深と、北方の原生林の陰鬱な植物の威圧....
「エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
あった。この頃の大坂城代支配下の地域を書き表わしたと思われる地図に、たとい二戸・
三戸の場所までも漏らさず、詳しく皮多村・穢多村を標記しているのも、当路者が彼らに....
「特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
調べによると、 千百六十九戸 五千三百九十六人 旧六条村 百六十
三戸 千二百七十六人 旧蓮台野村 九十六戸 六百....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
で持統天皇の五年に、陵戸の数を定め、先皇の陵には五戸以上、自余の王及び有功者には
三戸を置く事になった際、陵戸不足の場合は百姓を以てこれに充て、その徭役を免じて三....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
が容易であったという事情の下に、たいていは諸所に分散してしまって、今ではわずかに
三戸五戸くらいずつ残っているという場合が多いようである。またその中には全部落まっ....