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三才図会
「三才図会〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
三才図会の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
いちゅう》』に見えた水虎の話を西人が誤聞したのでないか。『本草綱目』虫部や『和漢
三才図会』巻四十にも引かれ、わが国の河童《かっぱ》だろうという人多いが確かならぬ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
と)、巌谷君が、『東洋口碑大全』に引いた『神社考』には、太刀のほかの四品、『和漢
三才図会』には太刀、鎧、旗、幕、巻絹、鍋、俵、庖刀、鐘と心得童子《こころえのどう....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
二寸ばかりの小さき耳あり、物を食えば高鼾《たかいびき》して睡《ねむ》る由(『和漢
三才図会』)、何かの間違いと見え近頃一向かかる蛇あるを聞かず。ただし昔到る処林野....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
を仰いで歎くと烏たちまち頭白く馬角を生じたので、燕へ帰るを得たそうじゃ。 『和漢
三才図会』六八に、立山の畜生が原は、昔奥州の藤義丞なる者、ここでしきりに眠り馬に....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
道鏡の事と見え、中国で猴《こう》を狙《そ》というも且は男相の象字といえば(『和漢
三才図会』十二)、やはりかかる本義と見ゆ。ある博徒いわく、得手吉は得而吉で延喜《....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
こで吟じたもう和歌に「鳴けばこそ別れを急げ鳥のねの、聞えぬ里の暁もがな」(『和漢
三才図会』七五)、これよりこの土師《はじ》の里に鶏鳴かず、羽敲《はばた》きもせぬ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
殺したら狗も自分も犬死にすべきところじゃったとある。 この話が移り変って『和漢
三才図会』六九には、犬頭社は参河《みかわ》国上和田森崎にあり、社領四十三石、犬尾....
「「峠」という字」より 著者:中里介山
に相違ない。 本来の漢字によれば「峠」は「嶺」である、嶺の字義に関しては「和漢
三才図会」に次の如く出ている。 按嶺山坂上登登下行之界也、与峯不同、峯如鋒尖処....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
フスベは嫩いとき食用になる。今から二八二年前の正徳五年(1715)に発行の『倭漢
三才図会《わかんさんさいずえ》』に「薄皮アリテ灰白色肉白ク頗ル麦蕈《ショウロ》ニ....
「手長と足長」より 著者:喜田貞吉
三才図会に長脚国・長臂国がある。「長脚国は赤水の東にあり、其の国人長臂国と近く、....
「オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
原と名称とについて定説がないと同様に、これまでほとんど確かな説がない。正徳の和漢
三才図会には、「凡そ物の大なる者を馬と云ひ、小なる者を雛といふ。此の戯は皆小器を....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
か。あはははは」 妓たちはすぐ言った。 「狒々とは何でございますえ」 「和漢|
三才図会にある獣だ」 「ま、おひどい。お口のわるい近江さま」 「したが、そちたち....
「木綿以前の事」より 著者:柳田国男
あったのである。この変遷の眼目は、横杵の発明にあったことは明らかだと思う。『和漢
三才図会』に搗杵、カチキネなどと呼んでいる現在の杵は、そう昔からあったものでなく....
「「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
多」の文字はもとより単に発音をあらわす為の借字で、「※嚢抄」の著者や、後の「和漢
三才図会」の著者等の考えた様に、その文字に穢れ多き故という様な意義があるものでは....