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三春
「三春〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
三春の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
は諸君もご承知のとおり山陽の詩の一番初めに載《の》っている詩でございます、「十有
三春秋《じゅうゆうさんしゅんじゅう》、逝者已如水《ゆくものはすでにみずのごとし》....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
しているんだな」 「へえい、ほんの少しばかり、糸の音の好きなおかたなら、墨田舎二
三春《すみだやふみはる》っていや、あああれかとごひいきにしてくださるけちなやつで....
「思い出す事など」より 著者:夏目漱石
挿《さ》す草と花がしだいに変るうちに気節はようやく深い秋に入《い》った。 日似
三春永。 心随野水空。 牀頭花一片。 閑落小眠中。 三十一 若い時兄を二人失....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
郎というのではなく、黒と書くのだそうです。御承知の通り、奥州は馬の産地で、近所の
三春には大きい馬市が立っていたくらいですから、黒太夫の家にもたくさんの馬が飼って....
「惜別」より 著者:太宰治
箇条が最も理解が容易であった。いつも自分の目先にちらついているものは、少年の頃、
三春秋、父の病気をなおそうとして質屋の店台と薬屋の店台の間を毎日のように往復し、....
「残されたる江戸」より 著者:柴田流星
から冬三月を吹いてふいて吹きとおして、なお且つ花さく日にも吹きやまず、とかくして
三春の行楽をも蹂躙ろうとすること必ずしも稀らしくはない。 大江戸以来の名物も数....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
廻して逐《お》いつ返しつして、次第次第に斬勝《きりか》って、既に西は越後境、東は
三春、北は出羽に跨《またが》り、南は白川を越して、下野《しもつけ》の那須、上野《....
「松と藤芸妓の替紋」より 著者:三遊亭円朝
葬式まで困る中で私が出す様な訳、何処と云って頼る処もございませんから、駒込片町の
三春屋と申す安泊りに居りまする」 三「おや/\何うも間が悪いと悪い事ばかり出来て....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
便と、燈下に句々の筆を走らせて、右馬買ひの者に托し申候。 馬と申せばこの道中は、
三春、白河等、皆名立たる馬の名所にて、野に走る牧馬の群はさることながら、途中茅野....
「土俗玩具の話」より 著者:淡島寒月
の伴うものが多い。換言すれば人間生活と不離の関係を有するものである。例えば奥州の
三春駒は田村麻呂将軍が奥州征伐の時、清水寺の僧|円珍が小さい駒を刻みて与えたるに....
「山姑の怪」より 著者:田中貢太郎
。彼は川崎の方へ行商に往くと云って家を出、川崎の方へは往かずに奥州街道をくだって
三春へ往き、其処の二日町と云う処に借家をしていた。 二十日ばかりしてのことであ....
「生死卍巴」より 著者:国枝史郎
り乱れている木々の間を巧みに縫って、駛るに得意な点などにかけては、南部駒よりも、
三春駒よりも、遥かに優れているのであった。 そういう駒に打ち乗って、丹生川平の....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
る日の本将軍安東氏を以て、仮りにも蝦夷というものがありましょう。徳川時代において
三春五万六千石の大名たる秋田氏を以て、日本民族でないというものがありましょう。蝦....
「西航日録」より 著者:井上円了
びきがきこえてくる。) 龍動繁昌記 龍動繁華実足誇、伯林巴里豈能加、牛津街上
三春月、海土園中四季花。 (竜動繁昌記 竜動の繁栄は実に誇るに足り、伯林・巴里....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
。そこでは花と月をともにながめて、遠い故国の風景を想いおこしたのである。) 巴里
三春日、満城来往譁、珈琲店頭客、深夜未家。 (巴里の春三カ月の一日、市内すべてが....