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「三木清〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

三木清の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
思想と風俗」より 著者:戸坂潤
太郎は論理組に這入るのではないかと思う。処がその論理組は誰かというと、谷川徹三・三木清・それに岡邦雄や私だという。併し今の論点から見て、谷川と岡との間には又可な....
読書法」より 著者:戸坂潤
物論的に甚だしく啓発されたことを、素直に断わっておく。 7 『現代哲学辞典』三木清氏が編集代表となり、他に甘粕石介、樺俊雄、加茂儀一、清水幾太郎、の四氏を編....
イデオロギーの論理学」より 著者:戸坂潤
を出版するには多くの人々の好意がなければならない。特に私は、恩師田辺元博士と先輩三木清氏との名を挙げようと思う。私の頭を初めてこの方向に向けて呉れた人は後者であ....
イデオロギー概論」より 著者:戸坂潤
itschrift fu:r Nationalo:konomie, 1931)〕三木清 観念形態論(一九三一) Plechanow, G.; Die Grund....
日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
らかに云っているのではないが、氏のこの倫理学に於ける方法に就いては、直接には後輩三木清氏等の「人間学」に教唆される処も少くないようだ。この点が併しもっとオリジナ....
現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
、吾々の態度を覚え書きにして見たものである。読者は、西田幾多郎博士・田辺元博士・三木清氏等々の、意外にも殆んど同じい一つの性格に落ち合う処の最近の記憶すべき諸労....
世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
の『存在論』ないし『人間学』への移行であった。これの日本における最初の代表者は、三木清氏であったが、三木氏がこれを初めマルクス主義との友誼関係において捉えようと....
社会時評」より 著者:戸坂潤
馬鹿に安かったから)、歴史哲学のようなものに興味を持っていたためだろう。その地で三木清氏と会って大いに許し合ったらしい。帰朝直後クローチェの歴史哲学を訳して吾々....
現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
て了った。文芸家もこの事件によって社会的関心をかき立てられた。文学の思想性(例、三木清氏、私など)や作家其の他の教養(長谷川如是閑氏、谷川徹三氏、など)の問題が....
文学的自叙伝」より 著者:林芙美子
斎藤茂吉《さいとうもきち》氏のミュンヘン雑記や、室生犀星氏の文学を包囲する速力、三木清《みききよし》氏の啓蒙文学論、河上肇《かわかみはじめ》氏の第二貧乏物語、ピ....
上海の渋面」より 著者:豊島与志雄
とから私はさる料理店主から一瓶分入手して、ホテルの卓上に据えていたところへ、丁度三木清君が上海にやって来た。私達三人は三木君を拉して、南京料理屋へ赴き、六十二年....
文学に於ける構想力」より 著者:豊島与志雄
である。論文に於ける筋の発展は、構想の発展に裏付けられたものであることを要する。三木清の本格的な論文にそれを見出すことは幸である。 論文に於ける筋の発展、構想....
三木清を憶う」より 著者:豊島与志雄
三木清を憶う 豊島与志雄 高度文化国建設のため、今や新たな出発をなさなければな....
文人囲碁会」より 著者:坂口安吾
、彼の文学はそういう風に見るのが矢張り正しいと私は思っている。 このあべこべが三木清で、この人の碁は、乱暴そのものゝ組み打ちみたいな喧嘩碁で、凡そアカデミズム....
随筆評論集「文学以前」後記」より 著者:豊島与志雄
作品の謂わば台地とも言うべきもので、じかに私の気息が通っている。 本書の中に、三木清と武田麟太郎と太宰治と、思い出が三つ並んだことについて、殊に私は感慨が深い....