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三条河原
「三条河原〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
三条河原の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「報恩記」より 著者:芥川竜之介
》あたりの通辞《つうじ》の名前も、甚内と云うのではなかったでしょうか? そのほか
三条河原《さんじょうがわら》の喧嘩に、甲比丹《カピタン》「まるどなど」を救った虚....
「土曜夫人」より 著者:織田作之助
と、ルミがマネージャーの机から貰って来た木崎の名刺を、覗きこんだ。 夜光時計 一
三条河原町の元京宝劇場は、占領軍専用の映画が掛り土曜日の夜はジープとトラックが並....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
続く近習や伽衆、馬廻など、皆善美を尽した甲冑を着て伊達を競ったから、見物の庶民は
三条河原から大津辺迄桟敷を掛けて見送ったと云う。 こんな一種の稚気にも、如何に....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
前の首を貰いに来たよ」 「こんな首をか。なんにするな」 「悪逆無道の痴者として、
三条河原へ晒すのよ」 「おおそうか、面白いな」 「蔵人!」 と卜伝は叱咤した。....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
院に安置してある足利尊氏以下、二将軍の木像の首を抜き取って、二十三日の夜にそれを
三条河原に晒しものにしたという。それには、今の世になってこの足利らが罪状の右に出....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
友だちが往来を始めることを知った。そればかりではない、あの足利将軍らの木像の首を
三条河原に晒したという示威事件に関係して縛に就いた先輩|師岡正胤をはじめ、その他....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
節じゃあるまい。古いところで、姉小路卿を殺した下手人はまだわかっていないだろう、
三条河原へ足利の木像をさらした一味も検挙されてはいないはずだ、新撰組で芹沢が殺さ....
「俳優倫理」より 著者:岸田国士
彼女は自分の芸を一般大衆の娯楽にまで押進めようとしたのです。そこで、京都に出て、
三条河原に小屋掛けの舞台を作って、そこで極く原始的な楽劇をやって見せた。この河原....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
邸内へ射込んだのち、中門の柱を切っておとした。 するとここの鬨の声にあわせて、
三条河原の空でも、わああっと、武者の諸声がわきあがっていた。 上将軍の陣であっ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
いる飢民があった。木の実をさがす幽鬼のような山林の人影もみな避難民なのであろう。
三条河原は屍臭にみち、全市はあらかた灰の野ッ原と黒い枯木の骨だった。だのに、都を....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
も、なかった。 直義はいまいましげに、実検を終ると言った。 「すべて二日の間、
三条河原へ梟けならべろ」 町の者は、もう見あきている。驚くべきことにも驚けなく....