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三枝博音
「三枝博音〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
三枝博音の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「読書法」より 著者:戸坂潤
にとって見逃すことの出来ない課題である。唯物史観による日本宗教思想史は、処で最近
三枝博音氏が手を着けている。尤もその際氏の唯物論はまだ動揺を免れないらしいが、氏....
「世代の価値」より 著者:宮本百合子
とを知ることが出来る。東洋経済新報社出版の「現代日本文明史」第十四巻「技術史」(
三枝博音著)も、過去の文献を有効に活かしていて、やがて続刊されるであろう同全集中....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
少とも唯物論的な哲学者や文学理論家は併し、もはやあまり沢山はいない。高々哲学では
三枝博音、岡邦雄、船山信一、永田広志、秋沢修二、本多謙三、其他。文学では(蔵原惟....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
のためにはこの点を見ねばならぬ。 (一九三六) 12 神聖文化論 一 神聖科学
三枝博音氏の文章を久しぶりで読んだという気持ちが私はする(「科学とイデオロギー」....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
いたが、今は大衆文学や歴史小説に道を拓こうとしているらしい。 立正を馘になった
三枝博音氏をこの辺で※入しておかなくてはならぬ。しかし余白がないから別の機会に譲....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
たのだ。専らこの点を衝かずに、中河与一氏や石原純博士に一々お相手を仕った森山啓、
三枝博音、其の他の諸氏は、一杯食わされたのである。岡邦雄氏の石原批判などが、比較....
「技術的精神とは何か」より 著者:戸坂潤
の体系だと云っては片づかない筈だ。 雑誌『科学主義工業』一九三七年九月号所載の
三枝博音氏の「技術学のグレンツ・ゲビイト」は、その主旨に於て共感を禁じ得ない。私....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
的な術者が多いのである。 大磯にAさんという指圧がおって、あるとき、福田恆存と
三枝博音両氏の紹介状をもって私のところへモミにきた。 この人がやっぱり引揚げの....
「『唯研ニュース』」より 著者:戸坂潤
書いていいか判らない。 併し創立当時の事を思い出して忘れることの出来ないのは、
三枝博音君の功績だろう。岡邦雄氏に唯研創立のはなしを持ち込んだのも同君だが、そう....
「〔付〕唯物論研究に就て(戸坂潤手記)」より 著者:戸坂潤
して止んだ。超えて昭和七年に入り、岡の友人で従来ヘーゲル弁証法研究に専心していた
三枝博音、三枝の友人服部之総との個人的会談が偶々現代一切の科学(「学問」と殆んど....