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三津
「三津〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
三津の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
場には和藤内の父母と、和藤内と錦祥女と、唐人と唐女が出る。錦祥女は小三の弟子の小
三津というのが勤めていた。舞台顔で本当の年を測るのはむずかしいが、小
三津はせいぜ....
「忘れえぬ人々」より 著者:国木田独歩
煙を見あげた。「忘れ得ぬ人々」の一人はすなわちこの壮漢である。 『その次は四国の
三津が浜に一泊して汽船|便を待った時のことであった。夏の初めと記憶しているが僕は....
「地獄の使者」より 著者:海野十三
のいいたいことが大体終ったとき、帆村はたずねたいことを口に出した。 「そうすると
三津子さんは、今朝旗田邸から引かれたというわけだね。
三津子さんが今朝旗田邸に居た....
「半島一奇抄」より 著者:泉鏡花
だ。 沼津に向って、浦々の春遅き景色を馳らせる、……土地の人は(みっと)と云う
三津の浦を、いま浪打際とほとんどすれすれに通る処であった。しかし、これは廻り路で....
「凧の話」より 著者:淡島寒月
絵を描いていたが、誠にいい気分のものであった。またこの秩父屋の奴凧は、名優|坂東
三津五郎の似顔で有名なものだった。この秩父屋にいた職人が、五年ばかり前まで、上野....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
伴をした額田王の詠んだ歌である。熟田津という港は現在何処かというに、松山市に近い
三津浜だろうという説が有力であったが、今はもっと道後温泉に近い山寄りの地(御幸寺....
「水の女」より 著者:折口信夫
ったのであろう。 水沼の字は、おなじ風土記|仁多郡の一章に二とこまで出ている。
三津郷……大穴持命の御子|阿遅須枳高日子命……大神|夢に願ぎ給はく「御子の哭く由....
「探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
の事でございました。わたくしは東京から五時間ばかりの汽車旅行をして、お友達の吉川
三津子さんをおたずね申したのでございます。勿論これは仮りの名と御承知ください。三....
「時 処 人」より 著者:岸田国士
を、元日の朝は、ちやんと私のところへ集つて来る。 一昨年は北軽井沢、昨年は伊豆
三津浜に、今年は、この小田原の仮寓に、親子三人、例の如く元日の朝の食卓に向つてい....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
取り出したのは美しい一枚の役者絵であった。すなわち蝶香楼国貞筆、勝頼に扮した坂東
三津太郎……実にその人の似顔絵であった。 「貧乏神が役者絵をくれる。……どうも俺....
「『地球盗難』の作者の言葉」より 著者:海野十三
それからこの方、誰が科学小説を書いたであろうか。僕の識る範囲では、野村|胡堂氏、
三津木春影氏、松山|思水氏などが、少数の科学小説またはそれらしいものを書いた。し....
「あるニュウ・フェイスへの手紙」より 著者:岸田国士
うのでなく、むしろ当らないと信じます。 ともかく、「シラノ」の成功は、やはり、
三津田健の素質と健闘とにその原因の一つはあるのです。難を言えば声の質が弱々しすぎ....
「役者の一生」より 著者:折口信夫
は明治六年に書かれた脚本で、元来田之助のために書かれたものなのだが、田之助の後、
三津五郎を経て、源之助がさせられたのである。江戸末期に絶えんとした毒婦型・悪婆型....
「勘平の死」より 著者:岡本綺堂
んやりと坐っている。そのほかに衣裳かづらの損料屋五助、顔師にたのまれて来た役者の
三津平、店の若い者四五人と小僧二人、それらが立ったり坐ったりしてごたごたしている....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
の座頭で、芸名を坂東|和好といった。 かれも根生いの鈍帳役者ではない、かの坂東
三津五郎の門下で、大歌舞伎から流れ落ちたものであるというが、わたしは不幸にしてそ....