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三田
「三田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
三田の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「出帆」より 著者:芥川竜之介
に、神田《かんだ》をいっしょに散歩して、須田町《すだちょう》へ来ると、いつも君は
三田《みた》行の電車へのり、僕は上野《うえの》行の電車にのった。そうしてどっちか....
「或る女」より 著者:有島武郎
いろどりを多様にした。三人の姉妹は時おり倉地、岡に伴われて苔香園の表門のほうから
三田《みた》の通りなどに散歩に出た。人々はそのきらびやかな群れに物好きな目をかが....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
いのですから、表向きの掛け合いも出来ず、この一件はうやむやに済んでしまいました。
三田の薩摩屋敷には大勢の浪人が潜伏していて、とかくに市中を鬧《さわ》がすので、と....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
でしたが、もうその頃には青山から麻布の空が一面に真紅《まっか》になっていました。
三田《みた》の魚籃《ぎょらん》の近所に知り人《びと》があるので、丁度そこに居あわ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
かはなかった。 それから二日《ふつか》目の八ツ(午後二時)頃に、庄五郎の葬式は
三田の菩提寺で営まれた。藤次郎はふだんからの懇意でもあるので、通夜は勿論、きょう....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
のほかには二、三の書記官や通辞があるばかりで、アメリカは麻布の善福寺、フランスは
三田の済海寺、オランダは伊皿子の長応寺、プロシャは赤羽の接遇所、ロシアは
三田の大....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
激励をして置いた。 ◯都電運転系統は現在左の通り動いている。 △品川→日本橋 △
三田→日比谷 △目黒→日比谷 △五反田→金杉橋 △渋谷→金杉橋 △渋谷→青山一丁....
「灯台鬼」より 著者:大阪圭吉
たころ、不意に前方の闇の中からものもいわずに歩いて来た二人の男に出会った。灯台の
三田村無電技手と小使の佐野だ。 「……あ、皆様……」 と小男の小使は、わたし達....
「四次元漂流」より 著者:海野十三
平凡な木見雪子学士の行方不明事件から始まる。 学士嬢の失踪 中学二年生の
三田道夫は、その日の午後、学校から帰ってきたが、自分の家の近所までくると、何かた....
「雪柳」より 著者:泉鏡花
らかにぐっすり寝た。目がさめると、雨は降っていたが気は晴々となった、と言います。
三田の豪傑だと、片腕頂戴するところ、この武家の少年は、浅草で片手を氷にしようとし....
「白い蝶」より 著者:岡田三郎助
の私の家へ帰るのには、如何しても、この河岸通を通って、赤羽橋まで行って、それから
三田の通りへ出なければならないのだ、それはまだ私の学校時代の事だから、彼処らも現....
「妖怪玄談」より 著者:井上円了
ごときの類、もとより一、二にしてとどまるにあらず。過日|発兌の『明教新誌』上に、
三田某氏の寄せられたる一書あり。その中に曰く、 小生、一夕某氏の宅を訪いしに、....
「明治の文学の開拓者」より 著者:内田魯庵
に対しては民間私学は顔色なき中に優に大学と拮抗して覇を立つるに足るは実業における
三田と文学における早稲田とで、この早稲田の文学をしてシカク威力あらしめたるは一に....
「狐」より 著者:岡本かの子
食べている。友人の二見、椽に不動みやげ餅花と酒筒を置いて腰かけている。 ――芝の
三田から中目黒の不動堂へ参詣して、ここまで尋ねて来るのに半日かかった。だがこの目....
「むかでの跫音」より 著者:大倉燁子
福知山から
三田行に乗り換えた時には、もう汽車の中にまで夕闇が迫っていた。 園部の新生寺の....