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三社
「三社〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
三社の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
五日、神田明神の九月十五日、それから六月十五日のこの山王祭りを合わせて、今もなお
三社祭りと称しておりますが、中でも山王権現は江戸っ子たちの産土神《うぶすながみ》....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
一 安政と年号のあらたまった年の三月十八日であった。半七はこれから午飯《ひるめし》を食って、浅草の
三社《さんじゃ》祭りを見物に出かけようかと思っているところへ、三十五六の男がたず....
「映画界手近の問題」より 著者:伊丹万作
る能力がなくなってしまうのである。 たとえ押し切って退社はしても協定加入の残り
三社のいずれに対しても入社の希望を持つことができないのだから遊んで食うだけの資産....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
の注連縄なぞは飾ってあるが、御嶽山座王大権現とした床の間の軸は取り除かれて、御嶽
三社を祀ったものがそれに掛けかわっている。 「青山さん、まあきょうは一日ゆっくり....
「残されたる江戸」より 著者:柴田流星
と淡島様とに彼の趣味を伴う。ここには説法と利生とあらたかとが存する。 もしそれ
三社様に至っては、浜成、武成の兄弟と仲知とが遠く推古帝の御宇、一日宮戸川に網して....
「めでたき風景」より 著者:小出楢重
。 そして、私の店には、一畳敷あまりの板看板が黒い天井から下っていた。それには
三社御夢想、神位妙伝方と記されてあった。 その中で生れた私は、人間というものは....
「太宰治との一日」より 著者:豊島与志雄
ろう。――彼が甘んじて世話になったのは、恐らく、死後も面倒をみて貰うことになった
三社、新潮と筑摩と八雲とであったろうか。 あの日も太宰は酒を集めてくれた。ばか....
「貞操問答」より 著者:菊池寛
の奥さまやお嬢さまなので、その人達と無駄話をしてから、連れがないので、この次の「
三社祭」を見たら、銀座で買物でもして帰ろうかと、大分|味気ない顔付で、パーラーの....
「番町皿屋敷」より 著者:岡本綺堂
い花をたわわに垂れていた。彼女はその枝振りを心ばかり矯め直して、正面にかけてある
三社の托宣の掛軸を今更のように眺めた。座敷の隅々にも眼に立つような塵のないのを見....
「良夜」より 著者:饗庭篁村
の地所家作の差配をなす者なりとぞ。予がこの家に宿して八日目の事なりき。桜時なり、
三社の祭りなり、賑い言わん方なしといえば、携え来りし着替を出し、独り夕方より観音....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
来|神田明神とか、根津権現とかいったものは、神田神社、根津神社というようになり、
三社権現も浅草神社と改称して、神仏|何方かに方附けなければならないことになったの....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
々は語り伝えて参詣をした。それで駒形堂をまた藜堂とも称えます。そうして主従三人は
三社|権現と祭られ浅草一円の氏神となり、十人の草刈りは堂の左手の後に十子堂をしつ....
「死剣と生縄」より 著者:江見水蔭
。と云った処で、普通の道場破りをして来いと申すのでは無い。先ず香取鹿島及び息栖の
三社、それに流山在の諏訪の宮、常陸は阿波村の大杉明神、立木村の蛟※神社、それ等の....
「アーニイ・パイルの前に立ちて」より 著者:小林一三
必要を強調し、撮影所を持たざる日活のゆく途は、大映との合同にあり、同時に東宝松竹
三社鼎立の競技によって、老朽を打倒してゆく勇ましい映画界の前途を祝福した。 彼....
「草紅葉」より 著者:永井荷風
にたずさわった時からであった。初日の幕のあこうとする刻限、楽屋に行くと、その日は
三社権現《さんじゃごんげん》御祭礼の当日だったそうで、栄子はわたくしが二階の踊子....