三筋町[語句情報] »
三筋町
「三筋町〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
三筋町の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「闇夜の梅」より 著者:三遊亭円朝
どとは事違い、全く私《わたくし》が聞きました事実談でござります。 えゝ、浅草に
三筋町《みすじまち》と申す所がある。是も縁で、
三筋町があるから、其の側に三味線堀....
「浮雲」より 著者:二葉亭四迷
「全体|今日《こんち》は何方《どちら》へ」 「今日はネ、須賀町《すがちょう》から
三筋町《みすじまち》へ廻わろうと思ッて家《うち》を出たんだアネ。そうするとネ、須....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
定《かんじょう》になります。 そうして、柳町から六条へ移り、「新屋敷」の名が「
三筋町《みすじまち》」となり、三転して今の朱雀《すざく》へ移って、「島原」の名を....
「蚤」より 著者:斎藤茂吉
に来てみると、東京にも蚤が沢山いた。 それは明治二十九年時分の話で、僕は浅草の
三筋町に住んでいた。その家(浅草医院といった)の診察室に絨緞が敷いてあったが、そ....
「呉秀三先生」より 著者:斎藤茂吉
保町どおりを経て、九段近くまでの古本屋をのぞくのが楽しみで、日の暮れがたに浅草|
三筋町の家に帰るのであった。ある日小川町通の古本屋で『精神啓微』と題簽した書物を....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
★ ヒサが妾宅をでかけたのは、十一月三十日の午前十時半ごろ。
三筋町の踊りの師匠のところへお稽古がてら月謝をおいてきて、ちょッと買物に廻ってく....
「陳情書」より 著者:西尾正
羽橋《かっぱばし》、菊屋橋《きくやばし》を過ぎて御徒町《おかちまち》に出で、更に
三筋町《みすじまち》の赤い電灯に向って疾走して行きました。遊廓付近はそれでもおで....
「三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
そんなに明るく感じたものである。 それから父と二人は二人乗の人力車で浅草区東|
三筋町五十四番地に行ったが、その間の町は上野駅のように明るくはなかった。やはり上....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
は稀です。もし好いのがあれば高価であるから私も当惑しましたが、以前用たしで浅草の
三筋町を通った時に或る葉茶屋になかなか好い狆がいたことを思い出したので、早速出掛....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
徒を集めて教えていました。明治初年になって、前に述べた西周氏が洋行から帰って、西
三筋町に住われた頃、沼津に軍黌が出来るからとのことでその主務教頭となるように勧め....
「随筆 寄席囃子」より 著者:正岡容
った。――その遺言はさっそくに実行されたと聞いているが当時の圓遊はたしか、浅草の
三筋町に住んでいたはずだ。 今のように、落語家がお大名のお下邸みたいな邸宅を構....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
て光悦がいう――
「あそこです。あれが六条の柳町で――この頃|町家が殖えてから、
三筋町とも称んでいますが」
「アア、あれですか」
「町中を出離れてから、またこん....
「醤油仏」より 著者:吉川英治
んな風に、左次郎の心に少し余裕がついて来て、ちょうど十日目頃。 何時も、部屋は
三筋町なので、大川端から新堀を一本道に帰るのだが、親方の言伝を頼まれて、本所の同....
「春泥」より 著者:久保田万太郎
あいた。 「何をしているんだな、おい。」みるなり田代はキメつけるようにいった。「
三筋町からこゝまで何時間かゝれァいゝんだ?」 「お前のようなヒマ人じゃァないよ。....
「日本橋附近」より 著者:田山花袋
面目なところと感傷的なところだけが目に立って残った。かの女は深川で生れて、下谷の
三筋町で育って、それから赤坂へと行った話などを段々そこに持ち出した。やっぱり橋や....