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「三道〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

三道の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
道祖問答」より 著者:芥川竜之介
じゃ。己が肉身は、三身即一の本覚如来《ほんがくにょらい》、煩悩|業苦《ごうく》の三道は、法身般若外脱《ほっしんはんにゃげだつ》の三徳、娑婆《しゃば》世界は常寂光....
田原坂合戦」より 著者:菊池寛
のであった。 薩軍、軍を登する前に隆盛の弟西郷小兵衛が策戦を論じた。曰く「軍を三道に分って、一は熊本を囲み、一は豊前豊後に出でて沿海を制し、一は軍艦に乗じて長....
碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
、朝鮮の人民日本の|下知法度を信ぜずして、山林へ逃げかくれ、安堵の思なく、朝鮮の三道荒野となって五穀なし。兵糧を日本より運送するようにては如何で明に入ることを得....
島原の乱」より 著者:菊池寛
そこで、長崎進撃を差置いて、四郎千五百を率いて天草に渡り、上津浦の人数と合して三道より進んだ。島子の一戦に寺沢勢を敗走せしめ、本戸まで追撃して、ついに大将藤兵....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
えて木を背負っている。 「富士の裾野は解っている。その他には名はないかな?」 「三道の辻と申します」 「三道の辻? 妙な地名だな」 「ここに辻がございます。路が....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
共に、九門の堅くとざされたころは、洛中の物情騒然たるものがあった。七月十八日には三道よりする長州方の進軍がすでに開始されたとの報知が京都へ伝わった。夜が明けて十....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
って任ずるファルケンボルグにこころよいはずもない。 当時、討幕の官軍はいよいよ三道より出発するとのうわさが兵庫神戸まで伝わって来た。大総督|有栖川宮は錦旗節刀....
雪之丞変化」より 著者:三上於菟吉
う。四谷舟町の彼の家に、二年前まで折助《おりすけ》をしていて、打つ、飲む、買うの三道楽に身がおさまらず、さんざん一家を手こずらせたあとで、主家に毒口を叩いて出て....
S岬西洋婦人絞殺事件」より 著者:夢野久作
…そのヘヘヘ、ちっとばかり慢心致しまして、世話講釈の文句通りに飲む、打つ、買うの三道楽で、日本に居られなくなりましたので、一つ上海へ渡って、チャンチャンと毛唐の....
二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
前には無頼者の仕事と目されていた。最も善意に解釈して呉れる人さえが打つ飲む買うの三道楽と同列に見て、我々文学に親む青年は、『文学も好いが先ず一本立ちに飯が喰える....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
程度以上になると、容易に進むものではない。 現代の人がよく、桃井、千葉、斎藤の三道場の品評《しなさだめ》をしたがるが、それとても、素人《しろうと》が格段をつけ....
開運の鼓」より 著者:国枝史郎
日に夜に脱走を企てる。征討大総督|有栖川宮は西郷隆盛を参謀として東山北陸東海の、三道に分れて押し寄せて来る。二百数十年泰平を誇ったさすが繁華な大江戸も兵燹にかか....
最後の一句」より 著者:森鴎外
来ている。縁側には取り調べを命ぜられた与力が、書役を従えて着座する。 同心らが三道具を突き立てて、いかめしく警固している庭に、拷問に用いる、あらゆる道具が並べ....
随筆 寄席囃子」より 著者:正岡容
の木更津である。 「義士伝」の倉橋伝助が、まだ長谷川金次郎といって飲む打つ買うの三道楽であった時分、江戸を食いつめて、落ちゆく先も御多分に洩れず、木更津だったと....
欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
一方には日本固有の諸学を愛護し、その学科中の東洋部は日本固有の学(すなわち神儒仏三道およびわが国固有の哲学、史学、文学)を教授するものとし、ようやく進みて他日、....