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三部経
「三部経〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
三部経の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「彼岸過迄」より 著者:夏目漱石
つやそう》が来て御経を上げた。千代子が傍で聞いていると、松本は坊さんを捕まえて、
三部経《さんぶきょう》がどうだの、和讃《わさん》がどうだのという変な話をしていた....
「ドグラ・マグラ」より 著者:夢野久作
すなはち翌延宝六年|戊午二月二十一日の吉辰を卜して往生講式七門の説法を講じ、浄土
三部経を読誦して七日に亘る大供養|大施餓鬼を執行す。当日虹汀は自ら座に上り、略し....
「死因の疑問」より 著者:豊島与志雄
なりません。 それから、序でに申しますが、あの子の書物には、登山記の外に、法華
三部経だの、浄土
三部経だの、日蓮の伝記だの、幾冊かの仏教関係の書物がありました。....
「非情の愛」より 著者:豊島与志雄
声へと変っていった。その読経は、経典なしの真の暗誦だった。経文は普通に使用される
三部経のいずれでもなく、華厳経の一部だった。 童女は膝に手を置いて眼をつぶり、....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
も照ったものですから濡れた着物と経文を乾かしました。その濡れた痕の付いた法華経、
三部経のごときものは今なお私の手に記念物として保存してあるです。その記念物を見る....
「法然行伝」より 著者:中里介山
院が御仏事を修せられた。それは元久元年三月のことで、その時法然は蓮華王院で浄土の
三部経を書写せられ、能声を選んで六時礼讃を勤行して、ねんごろに御菩提をとぶらい申....