三都[語句情報] » 三都

「三都〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

三都の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
千年後の世界」より 著者:海野十三
発見されなかった。しからば彼の覚醒したことが、東京とニューヨークとハバロフスクの三都へ、電波でもって伝えられていなければならぬはずだった。 「誰も助けにこないと....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
は、海岸警衛のため公儀の物入りも莫大だとある。国恩を報ずべき時節であると言って、三都の市中はもちろん、諸国の御料所、在方村々まで、めいめい冥加のため上納金を差し....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
そもそも、島原の投節《なげぶし》、新町のまがき節、江戸の継節《つぎぶし》、これを三都の三名物という。今時《いまどき》は投節を面白く歌うて聞かせる芸子もなければ、....
歌行灯」より 著者:泉鏡花
な、宮重大根が日本一なら、蕪の千枚漬も皇国無双で、早く言えば、この桑名の、焼蛤も三都無類さ。 その気で居れば可いものを、二十四の前厄なり、若気の一図に苛々して....
社会時評」より 著者:戸坂潤
りだからだ。 今年のは念が入っていて、可なり強い風雨にも拘らず、東京川崎横浜の三都市は完全な燈火管制を実施し、高射砲の空砲の音までがラヂオで放送されたのである....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
の良質にして、多量なることは、他国の及ぶところではねえ、もしこれをとって、年々に三都へ出して売り弘《ひろ》めた日には、少なくとも天下の薬価の三分の一を減ずること....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
争ごっこをしたい希望者のために賃貸しでもするものか知らん。そんなことはあるまい、三都の芝居の大道具小道具をすっかり集めたからとて、こうは揃うはずはないんだから、....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
術を見せていただきやしたが、正直感心いたしやした。どうして本格でげすよ、これなら三都の大歌舞伎へ出したって、ちっとも恥かしいことはねえ。失礼ながら皆さんが、これ....
織成」より 著者:田中貢太郎
た。 「名士、どうして遅い。」 柳は筆を置いていった。 「昔、晋の左思が作った三都の賦は十年してできあがりました。文章は巧みなのを貴んで、速いのを貴びません。....
南国太平記」より 著者:直木三十五
っている大阪上、中、下邸の新築、日光宿坊、上野宿坊を初め、京の錦小路の邸の修復、三都には、斉興御来邸厳封の金蔵に、百万両ずつの軍用金の積立さえできた。 調所は....
豆腐買い」より 著者:岡本かの子
てこういうのが加奈子のお京さんに対するたった一つの慰めだった。 加奈子は欧洲の三都に移り住むごとにお京さんには簡単な手紙を出した。お京さんからは殆んど返信はな....
熱情の人」より 著者:久保栄
内先生をもって嚆矢とするのである。追悼記念公演の名のもとに、築地および京阪中京の三都に上演される「夜の宿」「桜の園」は、この意味における日本最初の追憶的舞台であ....
西航日録」より 著者:井上円了
に欧州の三大都にして、本邦人のはじめて欧州に来たりて耳目を驚かすものは、ただこの三都なり。余は、詩をもって各都の繁華の一端を述ぶ。 巴里夜景 巴里街頭夜色清....
つゆのあとさき」より 著者:永井荷風
男で、震災当時、南米の植民地から帰って来て、多年の蓄財を資本にして東京大阪神戸の三都にカッフェーを開き、まず今のところでは相応に利益を得ているという噂である。 ....
特殊部落と細民部落・密集部落」より 著者:喜田貞吉
て一大打撃であった。ことに近年は、地方に於いて職を得難い彼らの仲間の窮民が、多く三都の地に流れ込む。東京や大阪などでは、普通の細民の部落へうまく隠れてしまう場合....