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三重県
「三重県〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
三重県の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「虚構の春」より 著者:太宰治
グルウプにしみ込みました。殆ど喜死しました。さよなら、御返事をお待ちしています。
三重県|北牟婁《きたむろ》郡九鬼港、気仙仁一。追白。私は刺青《いれずみ》をもって....
「神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
書して、「神社整理の弊害」を論ぜる、その言諄として道理あり。今その要を撮し、当時
三重県における合祀の弊害を列挙せん。いわく、従来一社として多少荘厳なりしもの、合....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
は非常に楽になる。 二月五日 ◯空襲ハ昨四日、九十機ヲ以テ神戸ニ、十五機ヲ以テ
三重県ニ行ナイシト。埠頭ヲ狙イ、南西部市街等ニ火災起リシ由ナリ。 二月十日 ◯....
「死の快走船」より 著者:大阪圭吉
家の電話は、長距離だったね? 済まないがひとつ交換局を呼び出してくれ給え。そして
三重県へ掛けたいのだがね、番号が判らないんだ。多分、鳥羽の三喜山海産部で好いと思....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
ント》ゲルランド『未開人民史《ゲシヒテ・デル・ナチュルフォルケル》』六等に見ゆ、
三重県の磯部大明神にかかる鮫崇拝の遺風ある話は予の「本邦における動物崇拝」に載せ....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
保の如きも第一に『三重日報』の主筆に擬せられて、これを辞した。これは藤田|茂吉に
三重県庁が金を出していることを聞いたからである。第二に広島某新聞の主筆は、保が初....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
、それは和歌山県の分だけでの事で、『紀伊続風土記』九三に、砂鉄|牟婁《むろ》郡(
三重県)尾鷲《おわせ》郷に産す盆石に添えて観美なりと出づ。 動物の分類は何たる....
「歌行灯」より 著者:泉鏡花
京の本場から、誰も来て怯かされた。某も参って拉がれた。あれで一眼でも有ろうなら、
三重県に居る代物ではない。今度名古屋へ来た連中もそうじゃ、贋物ではなかろうから、....
「妾の半生涯」より 著者:福田英子
枉《えんおう》を訴えけるに、その効《しるし》なりしや否《いな》やは知らねど、妾が
三重県に移りける後《のち》、婦人は果して無罪の宣告を受けたりとの吉報《きっぽう》....
「瀞」より 著者:佐藤垢石
、上瀞をへて次第に上流へ遡るほど、鮎の姿も味も香気も立派になるのである。さらに、
三重県東牟婁郡七色方面まで遡れば、鮎は七、八十匁の大きさに育ち、七月の盛季には、....
「植物知識」より 著者:牧野富太郎
ンドウ、コケリンドウなどは著名な種類である。右のアサマリンドウは、伊勢《いせ》〔
三重県〕の朝熊山《あさまやま》にあるから名づけたものだが、また土佐《とさ》〔高知....
「本朝変態葬礼史」より 著者:中山太郎
臣は主従三世の武士道を重んじ、三人または五人の殉死者のあるのが尋常とされていた。
三重県津の城主であった藤堂高虎が死んだ折に、十八名の家臣が追い腹を切り、その墳墓....
「手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
、近江の諸国を包むことと致しましょう。京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、
三重県、滋賀県の二府、五県になります。以上のうち京都府の北の一部と兵庫県の西の一....
「こども風土記」より 著者:柳田国男
なわち昔の人たちは自分の体験によって、つとに木の枝の強い力を認めていたのである。
三重県の北部から滋賀県の甲賀地方にかけて、春のはじめに神様を山から、里の方へ御迎....
「日本の伝説」より 著者:柳田国男
地蔵 吉野郡高見村杉谷……………………………………………………………入鹿を祀る山
三重県 宇治山田市船江町……………………………………………………………白太夫の袂....