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「上奏〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

上奏の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
と云う。碧蹄館の戦即ちこれである。 さて大敗を喫した李如松は開城に退いて明朝へ上奏文を送ったが、その中に曰く、 「賊兵の都に在る者二十余万衆寡敵せず、且臣|病....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
畏れず、各藩の意見のためにも動かされず、断然として和親通商を許した上で、それから上奏の手続きを執った。この一事は天地も容れない大罪を犯したように評するものが多い....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
伊掃部頭も近江から江戸への往き還りに必ずからだを休め、監察の岩瀬肥後も神奈川条約上奏のために寝泊まりして行った部屋である。この半蔵の話が、外交条約のことに縁故の....
続黄梁」より 著者:田中貢太郎
て公卿将士、尽く門下に奔走す。估計※、即ち臣が身に加えよ、云々」と言ってあった。上奏は終った。曾はそれを聞いて顫えあがった。それはちょうど冰水を飲んだように。し....
李陵」より 著者:中島敦
しゅせん》・張掖《ちょうえき》の騎各五千をもって出撃したほうが得策と信ずるという上奏文である。もちろん、李陵はこのことをしらない。武帝はこれを見ると酷《ひど》く....
独本土上陸作戦」より 著者:海野十三
失礼をしました。成功の暁は、博士の測り知られざるその勲功に対し、いかなる褒賞でも上奏いたしましょう。いかなる勲章がお望みかな。ダイヤモンド十字章はいかがですな。....
現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
、大日本国家社会党など、それから東京交通労働組合の一部までを従えて、国家改造断行上奏請願運動なるものが巻き起こされた。長野県、新潟県には、相当盛んで、憲法の許す....
大震火災記」より 著者:鈴木三重吉
らせられるなら旗をふって合図をされたい」としたためたかきつけと、東京方面の事情を上奏する書面を入れた報告|筒を投下し、胸をとどろかせてまっていると、下から大きな....
成仙」より 著者:田中貢太郎
直訴はおとりあげになって、車駕を犯した成自身の身もそれぞれの手続の後にさげられ、上奏を経て周の罪を再審することになったが、その間が十ヵ月あまりもかかったので、周....
蓮花公主」より 著者:田中貢太郎
う。」 竇は驚いて訊いた。 「それはどんなことでございます。」 王は案の上の上奏文を取って竇の前に投げた。竇は啓けて読んだ。それは含香殿大学士|黒翼の上奏文....
不周山」より 著者:井上紅梅
たその弟子に伝えたが、後世になって一人の方士が好いことをしようとして、秦の始皇に上奏し、秦の始皇は方士に命じてこれを探しめた。 方士が仙山を探し当てないで、秦....
『七面鳥』と『忘れ褌』」より 著者:佐藤垢石
政は、これを出発点とする。 当時、京都に流言が盛んに起こった。 ――将軍より上奏する所の条約一条、朝廷においてご聴許ない時は、大老らは承久の故事を追い、鳳輦....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
た。近江朝廷の令にしても、大宝律令にしても漢文で記されねばならなかったし、詔勅も上奏も太政官符も戸籍も歴史も、すべて支那文化に則る政治風教の百科の事務はみな漢文....
融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
んにできました。延喜といえば今から千十余年の昔ですが、その頃の文章博士三善清行の上奏の文によると、当時の天下の民の三分の二は、みなこの偽法師仲間であったとありま....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
フリードリヒ大王以後統帥事項は当時に於ける参謀総長に当る者より直接侍従武官を経て上奏していたのであるが、軍務二途に出づる弊害を除去するため陸軍大臣が総ての軍事を....