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「上宮〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

上宮の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
神神の微笑」より 著者:芥川竜之介
》は、円光のある黒人《こくじん》ではありません。優しい威厳《いげん》に充ち満ちた上宮太子《じょうぐうたいし》などの兄弟です。――が、そんな事を長々と御話しするの....
世相」より 著者:織田作之助
町六丁目で降りるともう黄昏れていた。寒々とした薄暗い焼跡を上本町八丁目まで歩き、上宮中学のまえを真っ直ぐ三町ばかし行くと、右側にこぢんまりした二階建のしもた家が....
単独行」より 著者:加藤文太郎
神戸午後十時三十五分の汽車に乗れば上松へ翌午前十時十四分着、第一日、ここから頂上宮田小屋へ七時間、第二日、早朝出発し剣ヶ峯―前駒―南駒と縦走して飯島へ十六時間....
谷より峰へ峰より谷へ」より 著者:小島烏水
利なる剃刀の刃のように、薄く光って、空へ空へと躍り上って行く。 ワゼミヤガワ(上宮川)谷も瞰下される、蝶ヶ岳も眼下に低くなって、霞沢岳は、雲で截ち切られてしま....
日本楽器の名称」より 著者:寺田寅彦
れた説もある。そうかと思うと『源氏物語』や『続世継』などに尺八の名があり、さらに上宮太子が尺八を吹かれたという話がある、シナには唐あたりの古いところにもとにかく....
飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
女帝を軍師とする一派によって亡ぼされた。――この推測は、嫡流方の造った寺の本たる上宮聖徳法王帝説の記事と違っています。この本には明に蘇我入鹿の名がでて山代王を殺....
アド・バルーン」より 著者:織田作之助
宿下りしてみると、実家はその二三日前に笠屋町から|上ノ宮町の方へ移っていました。上宮中学の、蔵鷺庵という寺の真向いの路地の二軒目。そして、そこにはもう玉子はいず....
英彦山に登る」より 著者:杉田久女
私は今年英彦山に五六度登った。 或人々は彦山はつまらぬ山だという。 成程銅の大鳥居から四十二丁の上宮迄は樹海の中を登りつめるので、見はらしはなし、谿流は添わず、大英彦全体を眺め....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
それで事はすっかり明白になった。いや、維新変革の後八年。ちょっと待てよ。それでは上宮太子御生誕後幾年になる。」 これには鶴見も途方にくれている。傍に一冊の年表....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
コですからね。 素人タンテイの心眼だから我ながら鋭い把握はないのだが、しかし「上宮聖徳法王帝説」という本を読むと、どうも妙だな、と思うことがあります。私は二十....
馬琴の小説とその当時の実社会」より 著者:幸田露伴
、棄児をした現八の父の糠助だの、浜路の縁談を取持った軍木五倍二だの、押かけ聟の簸上宮六だの、浜路の父|蟇六だの母の亀篠だの、数え立てますれば『八犬伝』一部中にも....
赤坂城の謀略」より 著者:国枝史郎
思い立ちたる事由を審さに述べたるのち、虔ましく居ずまいを正し、「承わりますれば、上宮太子|厩戸皇子様、百王治天の安危を勘え、日本一州の未来記を認め、この寺院に秘....
穂高岳槍ヶ岳縦走記」より 著者:鵜殿正雄
ヤマカンバ、ミヤマハンノキ、ミヤマナナカマド等の粗く生えたる土地、ここをぬけると上宮川原「信濃、上宮川原、嘉門次」、左の方数丁には、南穂高の南東隅に当る赭色の絶....
古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
。そうしてそれは、やがて結論として中宮寺観音をつくり出すような生活なのであった。上宮太子の作と称せられる憲法が極度に人道的であるのもまた偶然ではない。 がこれ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
て、内見をゆるされ、今朝、秋ノ坊の別当とお館とただお二人ぎりで、斎戒沐浴のうえ、上宮太子の御霊屋にて、そっと拝覧を給わったものだ。……いや、まだこれでも、よう解....