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上家
「上家〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
上家の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「御萩と七種粥」より 著者:河上肇
間の栗林家の門部屋で病死した時――栗林家の次男坊に生れた才一郎は、この時すでに河
上家の養子となっていたが、養家の瀬兵衛夫婦がまだ生きていた為めに、ずっと栗林家の....
「めでたき風景」より 著者:小出楢重
感じてはいるのだが、そしてそれを受けたいのだが何が何やらさっぱりよく判らず、その
上家屋の構造や家族の手前、生活の様式や経済上の関係や何やかやの関係から、なるよう....
「死者の書」より 著者:折口信夫
波で謹慎しているではないか。自分の親旅人も、三十年前に踏んだ道である。 世間の氏
上家の主人は、大方もう、石城など築き廻して、大門小門を繋ぐと謂った要害と、装飾と....
「十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
な。身分と姓名とを挙げて見よう。 生駒家の浪人永井忠則(今は大須の講釈師)、最
上家の浪人富田資高(今は熱田の寺子屋の師匠)、丹羽家の旧家臣久松氏音(今は片端の....
「役者の一生」より 著者:折口信夫
田之助だろう。田之助の舞台をよく観察していて、それをよく補正した人である。一体尾
上家は江戸へ来た始めから、上方の女形として下った家柄である。五代目が田之助或は先....
「「太平洋漏水孔」漂流記」より 著者:小栗虫太郎
に戻ってきた。――話はそこで始まるのである。 土人の“Maraibo”という水
上家屋のあいだを抜け、紅樹林の泥浜にぐいと舫を突っこむ――これが、往復八千キロの....
「高原の太陽」より 著者:岡本かの子
の卒業期の洋画科生である。青年は下町にある自宅が大家族でうるさいので、勉強の都合
上家を出て、下宿から学校に通っているのだそうである。兄は青年が酒をかなり飲む以外....
「小坂部伝説」より 著者:岡本綺堂
説の方でも播州姫路の小坂部といえば誰も知っている。芝居の方でも小坂部といえば、尾
上家に取っては家の芸として知られている。それほど有名でありながら、伝説の方でも芝....
「葛飾砂子」より 著者:泉鏡花
縁日 柳行李 橋ぞろえ 題目船 衣の雫 浅緑 記念ながら 縁日 一 先年|尾
上家の養子で橘之助といった名題|俳優が、年紀二十有五に満たず、肺を煩い、余り胸が....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
非常の辛酸を嘗めたように伝えられている。それでもどうにか詫びがかなって、もとの尾
上家に復籍して、明治二十四年の春から再び東京の舞台を踏むことになった。それは歌舞....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
歌の伝統が流れる時代である。近世の江戸時代になると、京都の公家の和歌はいわゆる堂
上家の歌といわれて、幾分旧式のように見られ庶民の間に新しい和歌の流れが根を張って....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
た。将校集会所で、最上時代以後秋元家修築前の状を現わした数軸の地図を拝見した。最
上家の時代には、二の丸内はもとより、その以外いわゆる三千石の地にも諸士の邸宅が割....
「エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
忌むところとなった為である。されば一方では、武家が祇園御霊会の神輿を舁かしめ、堂
上家がエタに飲料水の井戸を掘らしめて、あえて不思議としなかった時代にも、五山の僧....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
の主張を拡張して、七宿以外の他の夙をも支配しようと試みたのに無理はない。彼らは堂
上家に巨額の献資をあえてして、まずその宿神たる奈良坂春日祠造営費を大和全国の夙村....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
時は家系の跡つぎは鎮台(兵役)をのがれる特典があったので、米二俵を持って遠縁の井
上家の死籍相続人になった。「初めに言葉あり」。しかし人の歴史は心に残る最初の記憶....