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上山
「上山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
上山の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「東海道五十三次」より 著者:岡本かの子
、今までの寒山枯木に対して、血の通う人間に逢う歓びは覚える。 風が鳴っている三
上山の麓《ふもと》を車行して、水無口から石部の宿を通る。なるほど此処《ここ》の酒....
「単独行」より 著者:加藤文太郎
下山を皮切りに、九月には大峰山脈を縦走し大台ヶ原山に登った。十月には大山に登り船
上山へ廻ってみた。大正十五年七月中頃には岩間温泉へ下山、七月終りには中房温泉から....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
気味である。此時刻には、秀吉の大軍も木の本辺に充ち満ちて居たのである。先発隊は田
上山を上りつつあったのであるが、そのうち誰云うとなく、盛政の陣中で、秀吉来れりと....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
が多いのである。云わば約束手形が沢山出されていたのである。 後醍醐天皇が伯耆船
上山に御還幸の時、名和長重は「古より今に至るまで、人々の望む所は名と利の二也」と....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
佑《もんどのすけ》、六番には寄合与《よりあいぐみ》、佐久間久右衛門、同じく源六、
上山弥七郎、水野三左衛門、七番には弓鉄砲頭、鳥井四郎左衛門、上坂源之丞、布施次郎....
「死者の書」より 著者:折口信夫
方は、そのまま、岩牀の上を掻き捜って居る。 うつそみの人なる我や。明日よりは、二
上山を愛兄弟と思はむ 誄歌が聞えて来たのだ。姉御があきらめないで、も一つつぎ足し....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
属的に取扱うことにした。 ○ 現身の人なる吾や明日よりは二
上山を弟背と吾が見む 〔巻二・一六五〕 大来皇女 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめ....
「水の女」より 著者:折口信夫
の高市、近江の野洲川は天の安河と関係あるに違いない。天の二上は、地上到る処に、二
上山を分布(これは逆に天に上したものと見てもよい)した。こうした因明以前の感情の....
「田原藤太」より 著者:楠山正雄
く暮らしていたものでございます。それがいつごろからかあのそれ、あちらに見えます三
上山に、大きなむかでが来て住むようになりました。それがこのごろになって、この湖を....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
へと通じるわけだ。東の方へは初瀬から宇陀、伊賀を越えて伊勢路へ通じ、西の方へは二
上山を経て河内、大阪方面へ通じている。三輪のミヤコをまン中に、交通は四通八達して....
「山越しの阿弥陀像の画因」より 著者:折口信夫
離るること、東北二里弱の狐井・五位堂のあたりであったらしい。ともかくも、日夕|二
上山の姿を仰ぐ程、頃合いな距離の土地で、成人したのは事実であった。 ここに予め言....
「取返し物語」より 著者:岡本かの子
湖の水が漫々と湛えている。上手に浮見堂が割合に近く見えて来ている。下手の遠景に三
上山がそれかと思うほど淡く影を現している。舞台下手にちょっぽり枯田の畦が現れ、小....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
万治の頃に田地を有するものの存在した事が明らかである。万治元年十月三日附の名西郡
上山村棟附の中に、 高一石二斗九升七合 間人 一家 忠左衛門 三十八 ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
ふけぬらし雁がねのきこゆる空に月かたぶきぬ ぬばたまの夜はふけぬらしたまくしげ二
上山に月傾きぬ 万葉 一七 秋風に夜のふけゆけば天の川河瀬に浪のたちゐこそ待....
「古事記」より 著者:太安万侶
坂にわたしが立つて見れば、 盛んに燃える家々は 妻が家のあたりだ。 かくて二
上山《ふたかみやま》の大坂の山口においでになりました時に、一人の女が來ました。そ....