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上杉景勝
「上杉景勝〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
上杉景勝の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
忠も亦、二条の城に於て、父と運命を共にした。当時、織田の長臣柴田|修理亮勝家は、
上杉景勝を討つべく、佐々|内蔵助成政、前田又左衛門利家、佐久間|玄蕃允盛政、及び....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
鋒として蒲生|氏郷が伊勢松坂城を出発した。続いて徳川家康、織田信雄は東海道から、
上杉景勝、前田利家は東山道から潮の様に小田原指して押しよせた。「先陣既に黄瀬川、....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
通性で、『雑譬喩経』に猴が僧の坐禅の真似して樹から落ちて死んだ咄《はなし》あり。
上杉景勝平素笑わなんだが猴が大名の擬《まね》して烏帽子《えぼし》を戴《いただ》く....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
ように鼻が低くなる訳だ。堀久太郎は強いことは強いが、後に至って慶長の三年、越後の
上杉景勝の国替のあとへ四十五万石(或は七十万石)の大封《たいほう》を受けて入った....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
も知れないが、今はもう退引《のっぴき》のならぬ事態になっている。というのは、我等
上杉景勝の家老直江山城守と堅く申し合わせ、当春より直江が主人景勝をすすめて旗を揚....
「興津弥五右衛門の遺書」より 著者:森鴎外
められ候。当時田辺城には松向寺殿|三斎忠興公御立籠り遊ばされおり候ところ、神君|
上杉景勝を討たせ給うにより、三斎公も随従遊ばされ、跡には泰勝院殿幽斎藤孝公御留守....
「老狸伝」より 著者:佐藤垢石
率いて小田原の北条を攻めたのは、天正十八年である。そのとき、これに呼応して北陸の
上杉景勝、前田利家が相携えて大兵を進め、信州から碓氷峠を越えて上州へ攻め入った。....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
来るように、若松市観光案内も書いている。 来てみれば、これだ。 蒲生氏郷から
上杉景勝、松平|容保までの城址として、残り少ない日本中の古城址のうちでも、かなり....
「大谷刑部」より 著者:吉川英治
以来、どうじゃの、元気か」 「自適いたしておりまする」 「この度、東北において、
上杉景勝、直江山城守などが、乱を為し、その御平定に、徳川内府が赴かるるについて、....