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「上村〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

上村の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
じゅりあの・吉助」より 著者:芥川竜之介
一 じゅりあの・吉助《きちすけ》は、肥前国《ひぜんのくに》彼杵郡《そのきごおり》浦上村《うらかみむら》の産であった。早く父母に別れたので、幼少の時から、土地の乙名....
白蟻」より 著者:小栗虫太郎
らい》柱之珂玲《はしらのあかれいの》祝詞《のりと》」の首文とまでなっていて、『淵上村神野毛《ふちがみむらかみのげに》馬埋有上《うまうずめありて》爾|雨之夜々《あ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
この頃は押上町とか向島押上町とかいろいろに分かれたようですが、江戸時代はすべて押上村で、柳島と小梅のあいだに広がって、なかなか大きい村でした。押上の大雲寺といえ....
長篠合戦」より 著者:菊池寛
養寺附近の天神山に、次男北畠信雄は稲葉一徹属して御堂山に、夫々陣を布いた。更に川上村茶臼山には、佐久間|右衛門尉信盛、池田庄三郎信輝、滝川左近将監一益、丹羽長秀....
砂書きの老人」より 著者:上村松園
砂書きの老人上村松園 まだ私が八、九歳のころ京都の町々にいろいろな物売りや、もの乞いがやっ....
あのころ」より 著者:上村松園
ていなさったのであろうか」 そう呟くために。 祖父 祖父は、上村貞八といって、天保の乱を起こした大阪の町奉行大塩平八郎の血筋をひいたものであ....
作画について」より 著者:上村松園
雪中放鶴 菱田春草 木蘭 横山大観 花ざかり上村松園 秋風 水野年方 秋山喚猿 鈴木松年 ....
縮図帖」より 著者:上村松園
縮図帖上村松園 縮図は絵の習いたてからとっており、今でも博物館あたりへ通って縮図して....
最初の出品画」より 著者:上村松園
常に嫌い、というより、母が私を許して絵の学校へやっていることが気に食わない。 「上村の娘、絵など覚えてどないするつもりかいな」 と、私の家へ来るごとはもちろん....
わが母を語る」より 著者:上村松園
。しかし、はたはそうはいかず、親類知人は、「女子はお針や茶の湯を習わせるものだ。上村では、女子に絵なぞ習わせてどないする気や」と母を非難したものでした。なかにも....
手長と足長」より 著者:喜田貞吉
朽貝腐殻如今なほ存す。 とある。同書伊具郡の条にも同様の事が書いてある、同郡山上村にも手長明神があって、類似の説を伝え、附近には貝塚があり、参詣者は貝殻を納め....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
。途中車窓より一望するに、農田多くは桑園なり。 走出、午風漸動車窓冷、看過廬尼河上村。 (汽車は瑞の山よりいでて仏の草原に入れば、畑のうねはすべて桑田である。ま....
来り人の地位と職業」より 著者:喜田貞吉
のであろう。 旧徳島藩での、「郷士格以下|身居調査書」というものに、 、吟味の上村方故障無之分は、居懸百姓又は見懸人に相|居、医者又は賤しからざる渡世仕来候者....
『切支丹と旧エタ』について」より 著者:喜田貞吉
長崎からの通信を掲げたところが、東京中野局消印で「浦部きよし」という方から、「浦上村民は穢多ではない」との投書があった。投書家は昨年かの地に行き、親しく長崎在住....
新古細句銀座通」より 著者:岸田劉生
がい主として初期の肉筆の浮世絵を売るので有名、これまでになか/\珍品を出して主人上村君の名が高くなった。 一体ここの通り三十間堀二丁目は、中々有名な店のあると....