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上来
「上来〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
上来の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「職工と微笑」より 著者:松永延造
心理学者であり、美と罪悪との不可思議微妙な関係に就いて研究しつつあるならば、私が
上来書き来った所の文体を検査した時、必ずやその筆者が幾分か悪人であらねばならぬと....
「善の研究」より 著者:西田幾多郎
の決定が存するならば、それは偶然の決定であって、自由の決定とは思われぬのである。
上来論じ来《きた》ったように、意志と知識との間には絶対的区別のあるのではなく、そ....
「ドグラ・マグラ」より 著者:夢野久作
部経を読誦して七日に亘る大供養|大施餓鬼を執行す。当日虹汀は自ら座に上り、略して
上来の因縁を述べて聴衆に懺悔し、二首の和歌を口吟む。
唱 六っの道今は迷はじ....
「詩の原理」より 著者:萩原朔太郎
正に「音楽の中での音楽」というべきだろう。 第三章 浪漫主義と現実主義
上来述べ来《きた》ったように、あらゆる一切の芸術は、主観派と客観派との二派にわか....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
がもはや疑う余地のないほどピタリと白雲の頭に来ました。
十三
上来の事件とほぼ時間を同じうして、距離に於ては向う岸の渡頭から南へ一里余を隔てた....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
》んだ頬っぺたを押えながら、三尺ばかり飛び上りました。 六十一
上来、この「京の夢、おう坂の夢」の巻に、書き現わし得たところと、書き現わそうとし....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
。人麿が馬に乗って今の邑智郡の山中あたりを通った時の歌だと想像している。私は人麿
上来の道筋をば、出雲路、山陰道を通過せしめずに、今の邑智郡から赤名越をし、備後に....
「学生と生活」より 著者:倉田百三
面があり、必ずしも一概にはいえないさまざまの事情があるものである。 ことに私の
上来のいましめはイデアリストに現実的心得を説くよりも、むしろリアリストに理想的純....
「学生と先哲」より 著者:倉田百三
まことの予言者である。 そして日蓮はかくの如き条件にかなえる者であったことは、
上来簡叙したところの彼の生涯の行跡が示している。われわれは七百年以前の鎌倉時代に....
「人口論」より 著者:マルサストマス・ロバート
ある。 第四章 ヨオロッパ中部における人口に対する妨げについて 私が
上来ヨオロッパの北部諸国について述べたところは、その相対的重要性から見てある人々....
「人口論」より 著者:マルサストマス・ロバート
ときに、それに続いて自由がやってきたのであることを、承認しなければならない。
『
上来述べ来ったところは、わずかなりとも博愛の原則を過少評価せんとする傾向を有つも....
「日記」より 著者:宮本百合子
い。肉体の活動と、思想の活動とは一致しない。どっちかがどっちかを食う。 午後母
上来、千歳会がおそくなったと云って五時頃来られる。いろいろの話、A、六時頃かえる....
「日記」より 著者:宮本百合子
が起るだろうと思いましたと、あの人のサブデュードした声で云った。 林町より祖母
上来。お貞さんに死なれ、泉沢に死なれ、すっかりもうろくしたごんだ、と云う、彼女の....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
た。願わくばこれを以て右特別号の不備を補われたい。) 間人の意義性質については
上来項を重ねて述べ来ったところによって、ほぼこれを明らかにしえた事と思う。されば....
「法然行伝」より 著者:中里介山
の不遜に腹を立てた、法然は押し返して、 「されば善導和尚《ぜんどうかしょう》も、
上来雖説定散両門之益望仏本願意在衆生一向専称弥陀仏名《じょうらいすいせつじょうざ....