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上松
「上松〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
上松の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「眉かくしの霊」より 著者:泉鏡花
この、筆者の友、境賛吉は、実は蔦かずら木曾の桟橋、寝覚の床などを見物のつもりで、
上松までの切符を持っていた。霜月の半ばであった。 「……しかも、その(蕎麦二|膳....
「単独行」より 著者:加藤文太郎
高地へ下山、平湯から乗鞍岳に登り石仏道を下山、日和田から御嶽山に登り王滝口下山、
上松から駒ヶ岳に登り南駒ヶ岳まで縦走し飯島へ下山、八月中頃には材木坂を登って室堂....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
も溶けはじめるころになると、にわかに人の往来も多い。中津川の商人は奥筋(三留野、
上松、福島から奈良井辺までをさす)への諸|勘定を兼ねて、ぽつぽつ隣の国から登って....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
ごろは穀留めになる憂いがある。中には一か年食い継ぐほどの貯えのある村もあろうが、
上松から上の宿々では飢餓しなければならない。それには各宿各村とも囲い米の用意をし....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
ら三千五百把ずつの松明を用意せよとある。これは馬籠宿の囲いうちにのみかぎらない。
上松、須原、野尻、三留野、妻籠の五宿も同様であって、中には三留野宿の囲いうちにあ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
所へも訴え出た仲間である。今度二度目の嘆願がこれまでにしたくの整ったというのも、
上松から奥筋の方を受け持った五平の奔走の力によることが多かった。それもいわれのな....
「霧陰伊香保湯煙」より 著者:三遊亭円朝
の鐘か幽かにボーンと聞え、もう十二時少し廻ったかと思う時刻に、這入って来たのは村
上松五郎と云うお瀧の情夫で、其の時分は未だ髷が有りました。細かい縞の足利織では有....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
三郎(尾上菊之助)飯島の娘お露(尾上栄三郎、後の梅幸)飯島平左衛門、山本志丈(尾
上松助)飯島の妾お国、伴蔵の女房おみね(坂東秀調)若党孝助、根津の伴蔵、飯島の下....
「十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
点で憚りのない、友人|交際をしていたので、そういうわがままは大目に見られていた。
上松の宿まで来た時である。貝十郎は茶店へ休んだ。 「征矢野という家がこの辺にある....
「神経」より 著者:織田作之助
思った。 その「五割安」の飴は、私も子供の頃買ったことがある。その頃千日前で尾
上松之助の活動写真を上映しているのは、「千日堂」の向いの常盤座であった。上町に住....
「おせん」より 著者:邦枝完二
左衛門をはじめ、坂東彦三|郎、尾上菊五|郎、嵐三五|郎、それに元服したばかりの尾
上松助などの一|行であった。 いずれも編笠で深く顔を隠したまま、眼をしばたたく....
「小坂部伝説」より 著者:岡本綺堂
に書きおろされたものである。 尾上家でそれを家の芸としているのいうのは、かの尾
上松緑から始まったのであるが、一体それはどういう狂言であるか判っていない。他の通....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
乗込んで来たのである。一座の俳優は市川福之丞、市川駒三郎、嵐鱗昇、市川鯉之丞、尾
上松寿、中村竹三郎などであった。 単にこれだけのことであれば、鳥熊の芝居も取立....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
習慣《ならわし》なれば興いと深し。林泉《りんせん》のさま見事なる料理屋の座敷に尾
上松助《おのえまつすけ》胡弓《こきゅう》の調子を調べつつ三絃《さんげん》手にせる....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
ど、その代表作と称せらる。 ○六月、新富座にて尾上梅五郎は名題に昇進し、四代目尾
上松助と改名す。 ○八月二十五日、北海道官有物払い下げ問題について、福地源一郎、....